武道初心集・三頁目
 
文中、台詞の部分があるが、読み辛いので句読点を適当にふろう。
それにしても内容が「葉隠」に酷似している。
矢張り「葉隠」は、「変わった老人の独り言」じゃなく、こうした思想は「武士の理想」として漠然と、尠なくともこの時代にはあったのだろうか。
 
 
 
二十一
五、六十年も以前迄、諸浪人の支えとなっていた言葉に、
「乗替の壹匹も繋申程に無之ては。」
と言われていたのは、つまりは「知行五百石以上でなければ」という意味となる。

「せめて痩馬壹疋もつなぎ申程・・・。」
というのは、「三百石程ならば・・。」と謂わんばかりの口上である。

扨又、
「さび鎗の壹本も持せ候様に。」
というのは、百石であっても「知行取り」という名目に望みをかけた言葉である。

其の時代迄も武士の古風が残っており、自分の身上の事を自分の口から、
「何百石程ならば罷出べき。」
などと石高を指定して申し出る様な事はすまいという意地より言い出した言葉である。

「侍は喰ず共高楊枝、鷹は飢ても穂をつまぬ♪」
とかいうのも、其の時代の流行り言葉である。

若者は、金勘定や損得の話や物の値段などを口にせず、女色の話を聞いては赤面していたものである。

侍たらん者は、及ばぬ迄も古風な武士の気質を慕い学ぶ様でありたいものだ。

譬え鼻は曲がっても、息さえ出来ればいいという様な根性になるのも仕方が無い。
(ん?よく意味がわからんぞ?酔っ払って書いたんじゃなかろうかと疑いたくなる様な文章だ。)
初心の武士の心得の爲、仍って件の如し。(なんじゃそりゃ!)

 
二十二
戦国期、合戦で接近戦の際に善戦し、討ち死にするか、又は深手などを負って治療の甲斐無く相果てる侍の事を、主君・大将も格別に不憫に思し召す事から、譬え今年生まれたばかりの子であろうとも、男子でさえあれば跡目相続に関して相違無く下し置かれるものである。

だが、其の子は幼少で前線に出られないから、親の弟などが浪人でもしているなら、当分其の者に兄の遺跡を給わり、「幼年の間は後見を仕れ」などと主君より仰せ付けられる事がある。これを「陣代」という。
この「陣代・番代」を勤める武士の古法がある。

どういう事かというと、上の次第を以って兄の遺跡を相続するからには、甥ながらも我が実子と思って愛情を込めて養育するというのは当然の事である。

扨、其の砌、兄の跡式を受け継いで、武具・馬具等は言うに及ばず、其の他の雑具に至る迄ひとつ所に集め、一家の中から一人か二人でも立ち合わせて、委細にこれを改め、悉く記帳しておく事が肝要である。

扨、其の子が恙無く成長して十五歳にもなれば、来年は十六歳になるのであるから、一騎前の御用に立つ位にはなる。
であるならば、今迄自分に下し置かれていた知行を譲り渡して、「御奉公爲勤申度」旨の書付を作成の上、間違い無く上司に申し立てをして然るべきである。

其の節、主君に依っては、こちらの要請を尤もと思し召されても、未だ若年の事ゆえこの先2〜3年の間は其の方が相勤める様になどと仰せ付けらる事も無いではない。

譬えどんなに重い仰せがあったとしても、たって御願い申し上げて、扨願いの通りとなったならば、事前に調べ上げておいた帳面を元に、先代の諸道具を残らず引き渡す事が肝要である。
更に、自分が陣代を勤めていた当時、自分で調達した物品は本来譲渡の対象外であるのは当然であるが、其の中でも「譲りあたへて可然」と思う品々をも帳面に記載しておいて、これも譲渡するというのも尤もの事である。

且つ又、前述の如く、家督を仰せ付けられた時、たとえば五百石本高の内、三百石を甥に賜り、残る二百石を、
「數年陣代の内、能御奉公仕たる義なれば、其方へ被下置」
などとの仰せを受ける事もあるものだ。

そうした場合、
「難有仕合身に餘り奉存候得共、本家の知行高減候段、迷惑に奉存候間、兄の知行の義は無相違甥に被仰付、私義は永く御暇被下置候様に。」
と、たって願いを立てる事が肝要である。

そういう風であってこそ、「陣代・番代」と言われる武士の本意と認識すべきだ。

最早初陣を勤める程の年齢になった甥に家督を渡さず、譬え渡すにしても、自分が陣代を勤めている裡に兄の諸道具を悉く紛失させたり、家を住み荒らしておいて破損(松代版に「修復」とあるが、こちらの方が適当。)もせず、剰え兄から譲り受けた訳でもない借金や掛け買いをして是をも引渡し、猶其の上に扶持米・合力金などをねだって若輩の甥の脛をなぶる様な事では、「陣代・番代」を勤める武士の本意とは言えないのである。
心得あるべき事である。
初心の武士の心付けのため、仍って件の如し。

 
二十三
主人を持って奉公する武士は、大身小身に限らず常に倹約をして、出来る限り家計が磨り減らない様に分別するのが肝要だ。

但し、知行高を取る武士の場合は、譬え無益な事に金銀を費やして一時的に家計をすり減らしたとしても、素早く思考を切り替えて、茲を詰め彼処を縮め、諸事に気を付けて簡素を心懸けてさえいれば、程なく家計を元に戻せる事も有る。
併し是は資産が余計に有る場合の話である。

小身なのに大身の真似をして、無用の事に金を使って家計に破綻をきたしてからでは、資産に余裕が無いから幾ら稼いでも追い付かず、どれ程倹約を心懸けても「焼け石に水」となり、最終的に進退窮まってしまう程の「大すり減らし」になってしまうのは必定である。

併し、各人の「勝手のなるぞならぬぞ(家計が成立するかしないか)」という問題はプライベートな問題であって、奉公を勤める身には、傍輩達との兼ね合い上、巳むを得ない出費が避けられない場合も有る。

そう言う時、どうしようもなくなって、種々の才覚・手段に及び、言いたくない事も言い、したくない事もして、
「生れもつかざる不律義者、大はつ者」
等の汚名を着せられるのも、とんでもなく不快な応対を受けるのも、畢竟、日頃の金銭管理能力の欠如から起こる過失である。

爰を以って、小身の武士は日頃から其の覚悟を極め、身上相應の暮らしをし、多少の額でも無益な事には出費を避け、どうしても必要な事だけに金を投じる。
是を倹約の道という。

但し此の倹約という事に就いて、一つの心得が必要である。
何かというと、大身小身共に、「倹約倹約」とばかり言って出費を厭い、質素な生活を心懸けていれば程なく家計を持ち直すが、反面今迄持ち慣れぬ額の金を持てば持つ程、少しでも金が溜まれば悦び、消費すると悲しむというムサイ心となってしまい、ゆくゆくはすべき事もせず、致さないと駄目な場合も致さない
(どう訳したらいいんだろう。原文「すべき事をもせず致さで叶はぬ事をも致さぬ)様な義理知らずとなってしまう。
こうなってしまうのは、兎にも角にも金銀を貯めようとするのが原因であって、是を名付けて「吝嗇」という。
(そのまんまだっつーの!)

町人・百姓の話の上だったら別として、武士の吝嗇というのは、「三寶のすて物」とやらいうヤツであって、大いに嫌うべきものである。

何故かというと、千金萬金にも代え難い、至って惜しむべきものは一命であるのに、世に多く出回っている金銀でさえ意地汚く遣う事を嫌がったり惜しむ様なムサイ心であるなら、況してや二つと無くかけがいの無い大切な一命を、惜しげも無く捨てる様な潔い事の出来る道理は決して無いのである。
であるが故に、倹約の仕方に就いての心得が必要だと言ったのである。

初心の武士の心付の爲、仍って件の如し。

 
二十四
奉公を勤める武士は、古参たる者は言うに及ばず、譬え昨日今日の新参者であっても、主君の御家の起こり、御先祖御代々の事、或いは御親類御縁者方の御續柄等というのは言うに及ばず、家中に於いても、世間の人に知れ渡っている様な古今の高名な藩士の噂等を、古老の者に問い尋ねて委細に覚えておく位の用意周到さは欲しいものである。

何故かというと、他家の者と談話の機会があった時などに、自分の仕えている主人の家の事を尋ねられて、
「それも不存。是も不承」
なんて事では、大体に於いて「よき奉公人かな」と見える人物でも、其処でマイナスイメージを相手に与えてしまう事になるからである。

初心の武士の心付の爲、仍って件の如し。

 
二十五
公をする武士は、数多い傍輩の中でも勇気があって義理を正す事を好み、知恵や才覚があって雄弁な武士と日頃昵懇して、公私共に何でも話し合える様な仲になっておく事が肝要である。

そういった武士というのは、家中に多い傍輩の中にもそう沢山は居ないものであるから、そういう人物が譬え一人か二人しか居なかったとしても、そういうひとは自分と付き合いの無い友達を幾人も持っているから、何事かあったときには大いに頼りになるものである。(意味が分かり難い翻訳)

惣じて、武士が友達を選ぶ事無く、あの人ともこの人とも慣れ睦んで飲み喰いの交じりをして、しかもそういう会合を頻繁にしているというのはよくない事である。

何故かというと、武士同士の出会いで昵懇になる場合は、そうなる迄に長い付き合いをして互いの心根を見届けられてこそ念頃になるべきなのに、出会って直ぐに「面白きぞあい口なるぞ」というだけで心安立てをして、まるで武士と武士の出会いとは言えない程の無禮作法ばかりをし、互いに手を取り足を取り(原文・手足をもたせ合て)小唄や浄瑠璃などして夜を明かし、「うぬ(奴)がわが(吾が)の」と言い合う程仲が良いかと思えば、謂れの無いつまらぬ事で不通義絶をして、しかも誰あって仲直りを世話する者もないのに、なんと何時の間にか又仲直りをしているとか、こういう一つとして「意地を通そう」という気概の片鱗も見えない行動ばかりしているというのは、形は武士であっても、心は人夫・人足に等しい有様である。トホホ。

恥じ慎むべきである。
初心の武士の心得の爲、仍って件の如し。

 
二十六
奉公する武士が主君から屋敷を賜って、家のデザインを決める場合には、表向きの門や長屋玄関の見入り座敷(「見入り」と「座敷」は別モノと考えるのか?)の躰などは、身上相應に少しは綺麗にしておくというのも尤もの事である。

理由は、何れの城下に於いても、外曲輪の邊りに在る武家屋敷の付近迄は他所他國の者も入ってきて見ていく事もあるから、そうした際に諸士の住居の見栄えが良ければ、さぞや城下も賑わい、家中も平穏であるだろうとの印象を与える事が出来る事から、最終的には主君の御爲にも少しはなるんじゃなかろうか?あるんじゃなかろうか?(原文・「主君の御爲にも少は罷成かにて候。あるかにて候。」←なんで二回言うの?)

其の他、奥向きなどの妻子を置いておく様な場所は、雨さえ漏らなければ、どうにでも我慢出来るのだから、家の普請の時に余計な物は持ち込まない様にする心懸けは肝要である。

何故かというと、戦時下では城主たる大名方ですら、常に籠城戦の可能性を考慮して居られるから、二の丸三の丸に在る侍の屋敷も家を低く、梁の間をつめて普請を手軽くとの禁制を定められて居られるのである。(う〜む、何となくニュアンスは伝わるが、文章としてはおかしいな・・。)

況してや外曲輪に住む侍共の家宅に至っては、有事には悉く自焼して取り払ってしまう訳であるから、「何十年先も後悔しない家造り♪」なんという事はしても仕方が無いのである。

であるから、造りの至って簡素な建築を、「根小屋普請の様也」というのである。

ここら辺を識っていれば、譬え治世の今であっても「武士」を心掛ける侍ならば、家の造作にデザイナーばりに種々の「お洒落なデザイン」をし盡くしてみたり、身分不相応に高価な調度品を入れてみたりして、ひたすら何時迄も住む事ばかりを考えているというのも余りいい事とは言い難い。

其の上、若し不慮の火災などに逢ったとしたら、焼け跡の土地を其の儘にしておく事も出来ないから、直ぐに仮設住宅でも建てなければならないというのに、其処迄想定していないから分限に過ぎた調度品なんかに金を注ぎ込んでしまって、借金が膨らんでいるにも関わらず嬉しがっているなどというのは、不調法至極の浅はかな人間であるという他に言い様が無い。
初心の武士の心得の爲、仍って件の如し。

 
二十七
武士道といわれるものに於いて肝要だと言われるのは、「忠・義・勇」の三つに極る。

この「忠・義・勇」の三つの徳を、一人の体の中に完全に備えた武士を指して、「上品の侍」という。

「忠・義・勇」と一口に言ってしまえば、大した話でも無い様に聞こえるけれども、ところがどっこい、此の三つを完全に自分のものとして、しかも行動に示せる様になるのは至って難しい事である。

それだけに百人単位とか千人単位とかいう数の武士の中に於いて、上品の士というのは極稀にしか居ないと、古来より言われ続けているのである。

ということで、「忠勤の武士」と「義者」との見分けの話になるが(話が飛んでるぞ、おい!)、そういうのは常々の行跡にも現れるものであるから、当然簡単に判別する方法もある訳である。

勇者というのはどういうもんかというと(酔っ払って書いてんのか。どっから勇者の話が出てくるのか。)、平和な今の時代にあっては少々分かり難いものなんじゃなかろうか?との疑問が生じるのも当然である。
しかれども一向にそんな事はないのである。

なんでかっつーと、「武士の勇気」というものは、身に甲冑を帯びて手に鎗・薙刀を持って戦場に臨み、勝負を争う時になって初めて顕われるものだ・・・なんて事はサラサラないからである。

平生の畳の上に於いてだって、これは勇者。これは不勇者。という見分けは、鏡に写す様にはっきりとつくものなのである。

何故かというと、生来の勇者というものは、勇んで善事に進み、勇んで悪事から離れるので、主君に仕えても人並みならぬ忠孝を励み、少しでも時間が空けば学問の道に心を寄せ、武藝の稽古をも怠る事なく、身の驕りを慎んで、一銭の費えをも厭うものだから、しわく(しわい=吝嗇)汚い心かと思えば全くそんな事は無く、どうしても必要だという事に関しては人が出したがらない金銀をも惜しげも無くこれを出し、或いは主君の御法度とか両親の嫌う事であれば、どれ程自分が行きたいと思った場所へも行かず、やめたくない事もやめて、兎にも角にも主や親の心に背かず、身も心も健全に保って、是非一度は大功を立てんと思う様な意地を持っているゆえに、養生深く、食いたいものも控え、呑みたいものをも呑まず、人間の第一の煩悩であるといわれる色の道までをも慎み・遠ざけ、其の他何事に関しても能く耐え忍ぶ根性があるというのも、勇者になる素養があるというものである。

扨また不勇者というのは、主君や親に對して上辺ばかり敬う振りをして、心から大切だと思う心懸けがない。

主家の法度や親の嫌がる事などの分別もなく、行ってはいけない場所なんかをほっつき歩き、してはいけない事をもし、万事に自分の欲求の解消を最優先する。
朝起きるのも遅ければ、其の上昼寝が好きで、学問に至ってはこれを大いに嫌い、武士の家業たる武藝を磨くといっても、何か一つを極めようと稽古に専念するでもなし。
あれもこれもと色んな武藝に手を出すから、結局基本も覚えられぬ儘に終わってるくせに、口先だけの武藝評論ばかりしている。

僅かばかり貰っている知行も、後先考えずに遣いまくり、役にも立たぬ事に阿呆狂いをし、又美食などには幾らでも金を注ぎ込むが、他のことにはしわく、金に汚く、親から譲り受けた古い具足の毛が擦り切れて、塗りの剥げたのを修復しようという心懸けさえない状態であるから、況してや何を置いても揃えておかねばならない武具・馬具の不足した部分を点検して買い揃えるなどという事には思いもよらない。

其の身が病気になっては主君への奉公も出来ないばかりか、兩親に気苦労をさせてしまうだろうという事など全く考えないで、大食・大酒、または色の道に耽るという、まるで自分の身と寿命にやすりをかけるかの様な振舞いをするのは、これみな物事によく耐え忍ぶ事の出来ない、柔弱未練の心より起こる事であるから、これを不勇者・臆病武士の予備軍だと見当を付けても大方間違いではない筈である。

この事を以って、勇者か不勇者かの判別が、静謐の時代に畳の上でほぼ間違いなく出来ると言ったのである。
初心の武士の心付けの爲、仍って件の如し。

 
二十八
昔の侍の言い伝えに、
「武士をたしなむ侍は、世間の大名方の御噂と醫者の噂とは、惣じて悪くは申さぬもの也と相心得べし。」
というのがある。

何の事かというと、或る大名家に自分が奉公を望まなくても、自分の身近な親類縁者の中から奉公に上がって、其の大名を主人と仰いでいる様な場合もないではない。

そういう時に、
「兼ねてあしき主人とある義能知て悪く申程ならば、其家へ身近き者の奉公に出るを押へ留る事をも不仕、其通りに致し置たるはいかに。」
という人の批判もあるだろうとの遠慮の意味からである。

それが醫者の場合は、或る醫者に自分の家内の者がかかりつけになっていなくても、親類や知人の中に重病人が居て、其の醫者の治療で恢復したなどという事があった場合、
「其許の御願にて大切の病氣を取直し、我等式迄も忝次第に存る。」
とかなんとか、深く禮を言わねばならないハメに陥る事もあろうかとの遠慮の意味である。

人として、こういう心構えでいる以上、物事に後悔するという事は、それ程無い筈なのであるが、そういうところに頭が回らず、衝動的に口を滑らせて、以後の事を考えずに、言わなくてもいい人の噂をも遠慮無く言い散らし、自分に害のある訳でもない人の悪事を数え立て、最終的に譏り・嘲り・悪口者の悪名を受ける様な事んなるというのは、畢竟武士道不案内の不吟味より起こる過失である。

若し、人が自分の事を悪く噂している事を慥かに伝え聞いたとしたら、自分はどう思うだろうか。
「扨も聞へぬ事かな。何ぞ意趣もあらば致し方こそ有べきに、さはなくして陰噂を悪く仕るとあるは、近頃侍の様にもなき、むさき所存の不届かな。」
と見限らずにはおれまい。

其の上、如何にたかが陰口とはいっても、内容に依っては「聞き捨てに致しては差し置きがたき」事もあるであろう。

譬え聞き遁がして差し置いていても、何時までも覚えていて遺恨に思うというのは決まりごとである。

この事から、自分の事を人がどの様に悪く言ったとしても、それをなんとも思わず、相手を咎める気持ちも持たぬ様なうつけ者であればこそ、人の悪意ある陰口を広言するのだと思って間違い無い。(論理の飛躍の様な氣もするが。)

是に関して、大言壮語する者と、人の悪口を言う者とは、似ている様だが大きく違うという事を知っておくのが良いという事も付記したい。

例えば古い時代の武士の中にも、大言壮語=「大口者」の名を冠した侍は幾らも居た。
公儀御旗本に於いても、松平加賀右衛門、大久保彦左衛門などという人達は、かなりな「大口利き」であった。

其の時代には、諸国の大名方の家々にも、三人や五人ずつは「大口者」の聞こえのある侍が居たものである。

其の大口者達は、いずれも数度の武偏手柄を顕し、武士道一通りに於いては無類だとはいっても、時折は分別違いを起こし、ややもすれば強情を張って、まともな会話にもならない様なところが出世の押えとなっているのに、其の身の武偏高名の誉れに照らして知行も役職も不足であるという主張を持っている事から問題が起き、挙句に自暴自棄となって相手構わず言いたい事を言う様になる。
併し、主君をはじめ家老・年寄りも、其の者達を「御咎めの対象外」の如く見遁し・聞き遁す様になっているから、猶更我儘が募って遠慮會釈もなく人の善悪を言い度い放題に言い散らし、一生の間大口を叩いて死んで行く・・。
昔の大口者というのはこういう感じであるが、当時の大口者というのは、若い時に人に真似の出来ない武偏手柄を成し、腕に覚えあっての大口なのである。

当世天下静謐の時代下に於いては、如何に勇猛な生れついた者であっても、手柄高名を極めるべき機会とてないから、具足を一度として肩に懸けた事もなく、昵懇の傍輩と集まっては主家の仕置きの善悪とか家老・用人の非難をし、他にも諸傍輩の噂迄をも言いたい放題言い散らし、自分ばかりが利口であると勘違いしているうつけ者(現代の我々の身の回りにも居ますな。)と昔の大口者とは天地雲泥の違いである。
随って、こういうのは「悪口者」。或いは「馬鹿口叩き」とでもいうべきであって、「大口者」とは言わない。

初心の武士の心得の爲、仍って件の如し。

 
二十九
主君を持つ武士が、御側近くの奉公を勤める場合、役目柄か又は何かの折に、主君から、
「是々の儀を如何存る」
とか訊ねられる事もある。
(或いは、「役目に関してか、又は他の職務の内容に関して、主君から「こうした方が良いと思うが、如何存ずる?」などと意見をされる事もある。」)

そういう時は、同じ自分の思った事を一通り申し上げるのでも、どう考えても主君の言う事は道理に適っていないからといって、
「いや左様にては宣からず。如何有之て可然。」
などと異論を唱えようとする前に、先ず主君の申される事を謹んでよく承り、
「然らば私の存たがひも御座候か」
と断っておいてから、其の上で御機嫌を伺いつつ自分の意見を述べていくものである。

そういう話し方をすれば、主君も考え方を変えて下さるかも知れないから、間違った方向に論理を進行させてしまう可能性を低く出来るので、主君の御爲になるのである。

幾度も御言葉を返して、
「是非左様にては無御座候。」
と憚りを省みずにものを申し上げる場合も有ろうが、それも人に依る。
(意味不明で怪しいので、原文「・・・・と憚りをかへりみず物を申上ると其人にもよるべき義也」)

これが「渡り奉公人」であってみれば、先ず以って慮外の至りであって、如何に御爲と思っても、そんな事を言うのはとんでもない話である。

但し、どう考えても主君の仰る事は道理に合わねえよな。と内心思い乍らも、
「當座の思召にさえ叶へばよきぞ。」
とばかりに、
「宛前申上候は、私の心得違にて御座候。只今相考候へば、成程御前の思召の通りにて宜可有御座と奉存・・。」
などと申し上げる様なのは、大不忠此の上無い!

惣じて奉公を勤める武士は、「主君の御意に入度」と思う心が、寸毫も出ない様にという心得の慎みを第一にするべきである。

自分の当り前の奉公を油断無く勤めて猶、御意に入らなかったら、
「手前の不幸故の義。是非に不及。」
と各語を極めているのを、奉公する武士の本意というのである。

初心の武士の心得の爲、仍って件の如し。

 
三十
大身の武士は言う迄もなく、譬え小身であっても主君より相当の恩禄を戴いて、既に一騎役をも務めている程の侍は、自分の身も心も、仮にも我が物と心得ていては事済まぬ。

何故かというと、武家の奉公人の内にも二つのパターンがある。
例えば、足輕以下、小人・中間などいう類いの者の場合は、小扶持・小切米を取っていて、昼夜の別なく一生懸命働きはするが、自分の一命を擲ってでも主君の御用に立たなければならないという様な定めは無いから、武家第一の奉公所と定まっている合戦・迫り合いの最中で少々迯げ廻ったり、臆病風を吹かせても、あながち不届きであるという様な詮議・詮索もされる事は無い。
なればこそ、短期間だけ自分の身を切り売りする奉公人と言われるのではなかろうか。

では、どういうのを武士というのかといえば、二つとない大切な自分の命を捨てる事を約束の第一と定めている奉公人の事だけをいうのである。
であるから、下々の者の様にチマチマ雑用なんかを一生懸命こなしたりはしないが、「すは!大将の御用!」という局面に臨んでは、一歩も退かずして晴れなる討ち死にをも遂げ、或いは敵の矢面に立ち塞がって主君・大将の御身代わりにも立つのであるから、こういう人物を重寶としてもてなし、常々恩禄を厚く給わって御目を懸けられて召し置かれるというのも、乱世には成程御尤もの至りというべきである。

治世の今時では、そういう御用も無い訳であるから、武士ほど働きに見合わぬ高給取もない。

何故かというに、大身の武士は言う迄もなく、例えば百石という小知にてもあれ、十年貰い続ければ千石という米高になるのを、親や祖父の代から現在迄、何十年となく拝領し續けて来た俵子を穀代に換算し、凡そ如何程の金銀に相当するかと考えてみた上で、主君の御恩の深さを、又は御家来を扶助されて置かれる主君の御奥意の程をも、とくと勘弁してみる事が肝要である。

其の御奥意とは、前述の如く家中大小の諸士に過分の知行・切符を毎年毎年下し賜る事が、實は大きな過失であるという事を、主君の御心にも御存知ない訳ではないという事を先ず念頭に置いておいて戴いて説明しよう。

主君はそもそも戦時下の役人であるから、万一有事の際には大将相應の装いを為されて、出勢・出陣等の場合、身上相應の軍役というものがある。
例えば、十万石という知行高では、馬上170騎、弓足輕350人、鎗150本、旗本先・・是は公儀より定め置かれるところの軍役である。
他に召し連れ給う人数に関しては、其の大将の御器量次第。又は思し召し次第である。

扨、この様に規定の人数を引き連れ、御出陣された跡でも、居城を空けてはおけない。
先陣に在って留守の時に万一の事があっても、丈夫に城を堅めさせておいて、敵に占領させてしまわない様に護れる程度の人数を残しておかなければならない。

そういうケース迄も考えておくと、平時には常に人が多い様に感じるけれども、ここぞという時に必要となる最低限の人数である事がわかる。

尤も、今は静謐の時代であるから、牢人などが腐る程居る。
不断から人数を抱えているのではなく、そういう連中をイザという時だけ臨時に召抱えるという方法は簡単だが、そうはいっても貴賎に依らず、人というものは互いの事を能く知っている者同士で動くのが一番である。

勿論武士であるからには、「俄抱え」であっても物の用に立たぬという事はなかろうけれど、数代・数年の厚恩に預かり、不断から主君の情を蒙って夫れが身に染み込み、
「何がな一奉公致て、日頃の御厚恩をも報謝し奉り度。」
と思い詰めて居る武士でなくては、一大事の時の御用には立たぬものなのである。

人の上に立つ主君・大将たる方々には、こういう御心付けがあって、常々はさして御入用という事は無くとも、大身の者から小身の者へ迄、数多の侍を抱え置き為されて御目を懸けられ、家中に多い譜代の侍の中には、不器量この上ない者、或いは五體満足でない者、又は少々馬鹿みたいな者(原文・少々馬鹿らしくみゆるもの)をも大目に御覧為され、正規の知行・切符を相違無く下し置かれて夫々に召し使われているというのも、若しもの有事には日頃の御恩と馴染みであるという二点を以って、身命を省みない様な働きをもして御用にも立とうという者が出てくる事をも見越しての事なのである。

そういう人物を御秘蔵し、さなくともそういう人物を頼母敷く思し召す。
是を主君・大将の御奥意というのである。

そうと分かれば、即刻御家来衆も上記の主君の御奥意を推量し奉り、今度は自分にもまた「奉公人としての奥意」というものを身に付けなくてはならない。

其の奥意というのはこうである。常々の番役・供役・使役というのは、治世の武士の「只居り役」というものであって、世間並・人並みの役目であるから、武士の身にとって理想的な奉公とはいい難い。

只々、「明日にも不慮の變も到来の節は、人に勝れたる軍忠をも相勤むべき。」という心懸けを以って、常に武藝の修行をし、身上相應に人馬をも持ち詰めさせておき、武具・馬具をも支度しておいて、さて万一戦争が勃発した時には、自分の護る陣地に、譬えティームの侍が何十人いようとも、平地の白兵戦ならば一番鎗。敵の中枢に乗り込むには一番乗り。若し戦況が悪化して自軍が撤退を余儀無くされた場合にはしんがりを。という三つの働きを、「摩利支尊天も御覧あれ。人にさせては見まじき物を。」と、わざわざ声高に言わずとも、自分の心一つに思い定め、覚悟を極めているのを武士の奉公の奥意というのである。

扨そうして上記の奥意を極めた上は、
「我身も命も我物にあらず。いつ何時主君の御用と有て召上げ被れべきも斗り難し。」
と思っているから、自分の身命を大事にし、暴飲暴食淫乱などの不養生を謹んで、
「一日たり共永く此世に逗留致し、是非一度御用に立てこそ捨べき命。」
と思っているから
(「思っているから」が二回続くが、原文も「存るからは」が二回続く。)、畳の上の病死をさえも本意と思わず、況してや何の役にも立たない喧嘩・口論をして友傍輩を討ち果たして自分も自害するなどというのは、ひとかたならぬ不忠の大不義と覚悟し、こういうのは深く慎むべきである。

其の慎みの第一として、先ずうっかりと口を利かぬのがよい。
惣じて武士の御喋りというのは嫌うべき事であるのに、其の心得なく役にも立たない口を多く利くから口論などを始め、口論が募って喧嘩になる。
喧嘩が始まれば必ず雑言を吐く。武士と武士の間で互いに雑言に及んで、其の後何事も無いなんて事は、一千万分の一以下の確率でしかない。

であるから、最初、喧嘩口論に及ぶ前にその心得を再認識し、兼ねて主君へ捧げ置きたる身命であるという事を思い出し、忍ぶべきところは忍ぶのを忠義の武士とも、分別者ともいうのである。

そうはいっても家中に多い傍輩の中には、氣違い同然の馬鹿者が居ないとも限らない。
そういう馬鹿者は、自分が理不尽な事を言っているから他人が聞かぬ振りをし、相手にならないのに、それを「扨は臆したるぞ」と勘違いして、猶更カサに懸かって言いたい放題の悪口を散らし、誰が聞いても聞き捨て難い雑言を浴びせてくる事も無いとは言えない。
こういうのはもう、武士の身上としては、時の不運横難というより他はない。(T_T)

万一そういう状況に陥ってしまったら、雑言を言われながらも気を落ちつけて、冷静に其の場の状況を考え、其の時喧嘩をして差し障る状況であるなら、其の場は取敢えず相手にしないで自宅へ戻り、公私の大切な用事があるなら夫れを片付けてしまい、此の世に気懸かりな事が一切残らない様にし、扨それから、先に口論した時にそばに居て状況がよく分かっている傍輩達を証人として一通の書置きを残し、綿密に作戦を練って首尾良く先日の意趣を晴らしてのち、即座に自害するか、又は検使を恃んで腹を切るか、其の辺りの選択は心次第であろう。

それくらいしておけば、諸傍輩も「尤もの至り」と感心するし、主君の御心にも「神妙の致方」ぐらいの思し召しがあって然るべきである。
これなら不忠といっても、申し訳は立つんじゃないだろうか。

夫れを、そういう考えもない若輩の族は、其の時の怒りに任せて、馬鹿者と出会っては馬鹿と一緒んなって取っ組み合いなんかして、犬死同然の急死を遂げてしまう。
これは先に言った「奉公人たる武士の身命は、兼ねて主君へ指上置き我物にあらず」という弁えが無いからとしか言いようが無い。
能く能く考えてみるべき事である。
初心の武士の心付けの爲、仍って件の如し。


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