武道初心集・四頁目 |
文中、「侍」「侍」とよく出て来るが、江戸初期の文献に、「若党とは侍ともいい、これは武士扱いである。」という様な事が書いてある。 併し、「初心集」の文章を見るに、どうも此の頃には既に、「武士」と「侍」を同義に使われていた様な感を受ける。 若党とは、武士の従者である。 中間などは元々百姓から徴収されて使われていたが(のちには渡り奉公人などを江戸で随時調達)、若党クラスにはどういう出自の者がなるのであろうか。 単に禄の低い武士の倅かなんかだろうか。 それとも、出自が百姓・町人であっても、中間・小者などの中から身分を上げて貰って若党になれば、両刀を手挟める様になるのだろうか。 |
奉公を仕る武士は、自分の屋敷ででもあれ、長屋ででもあれ、近所に棲む傍輩の中に重病人、亦は不幸等が有った場合には、例え其の者と日頃親しくしていなくても、高笑いをしたり演奏等をする事は堅く慎んで、妻子や召使い等にも其の点を厳重に申し付けるのだ。
これは先々、件の家の者との付き合いが生じた時の事を想定してというばかりではなく、諸傍輩に 初心の武士の心得の爲、仍って件の如し。 |
武士たらん者は、自分の妻女等の性格上に理想通りにいかない点があった場合、事の道理を言い聞かせて、よく合点する様に申し教え、少々の事であれば許してやり、堪忍して置く様にするべきである。
併し、(妻女の)性格の悪い事尋常ではなく、どう考えても使い物にならないと感じる程なのであれば別である。暇を遣わして親元へ送り返すのも一向に構わないだろう。 併し乍ら、そうして離縁もせず、我が女房と定め、奥様カミ様と人にも言わせて置く者へ対し、高声を上げて種々の悪口雑言に及ぶというのは、市井の裏屋・背戸屋に住む八っつぁん熊さんみたいな者なら兎も角(市町の浦屋せどやなどに住居仕る日用山ごしの風情のものゝ義は格別)、既に一騎役をも勤めようという武士の所業としては決して有ってはならない事である。 況や以って、腰刀等を捻くり廻してみたり、イイ右を一発くれてやろう等というのは言語道断の不届きであって、是皆臆病武士の仕業である。 初心の武士の心得の爲、仍って件の如し。 |
主君を持った武士が、寸暇も無く毎日大変な奉公をする事に関して、先ず気を付けなければならない心得が有る。
説明しよう。 先ず「奉公は一日切」とさえ認識して居れば、物事に退屈する事もなく、諸事を投げやりにもせず、「何事も皆其の日拂い」と心得て居る事で以って特別仕事に精が出るから、やり忘れがあったり失敗したりという事も、自ずから無くなる道理なのである。 それを、「いつまでもかわる事なく行末永き奉公」だと思っているから、問題が起こすわ、すぐに飽きるわし、そんなだから気も緩んで、簡単な仕事は言うに及ばず、こまめに打ち合わせをし乍ら片付けていかなくてはならない様な主君の御用向き迄も、 さて又、一ヶ月の内何日間とか定まったスケジュールの勤番をする武士の覚悟すべき点は、例えば夕方六時に交代となる番所の勤務で、自分が六時以降の勤務であるなら、主君の御館と自分の番所間の移動に要する時間と、季節による日没時間のタイミングのズレを計算に入れ、常に少し早目に家を出る様に心得るべきだ。 早く出勤しなきゃならないのに家の入り口を出たり這入ったりしてみたり、茶を一服だぁ煙草を一服だぁ言ってグズグズグズグズしていたりする。或いは、出勤間際に女房や子供とチョコチョコチョコチョコ雑談してたが爲に家を出る時間が遅くなってしまい、俄かにうろたえて誰と擦れ違ったかも判らない位に通勤ルートを全力疾走し、汗をダラダラ掻き乍ら番所へ駈け込んで、クソ寒いのに一人扇子なんか使い乍ら、 そればかりではない。そういった心得を以って、自分はいつでも早く出勤する心掛けを持っては居たとしても、自分の後に来る交代要員が来るのが遅いのを待ち兼ね、もゝ尻(桃尻か?だとすれば、尻の据わりが悪い事。)に成って大あくびをし、主君の御館内に、もう少しでも居る事を嫌がり、帰りたくてソワソワしているなんていうのは、近頃見苦敷き次第であると、コレを慎むべきである。 扨又、自分の両親が患っているので目が離せない等の理由で「看病休暇」などを提出して欠勤するというのは尤もの事であって、そうすべき事である。併しこれが自分の子供の事となると話は別で、子供が患っていて看病休暇を申請して然るべきか否かは、親たる者の身分というか禄高というか・・・身上の具合で判断すべきだろう。 但し、小身武士などの様に、確かな家来を持たない者なのであれば、介抱を兼ねての事であるならこれはまた別の話であるが。 就中、大身は言うに及ばず小身武士であっても、自分の女房の看病で「看病休暇」を提出して、主君への奉公を欠勤するという様なのは大きに間違いである。併し、それが余程危ない状態であるのなら、自分が病気だという事にして引籠って看病してやるというのも正しい判断といえるだろう。 初心の武士の心付けの爲、仍って件の如し。 |
三十四 |
主君の御側近くに奉公する武士が、時折々の御心付けとして主家の御定紋の付いた御小袖、または裃等を拝領した場合、主家の御紋付の小袖を着用する時には自分の紋付の裃を上に着て、主家の御紋付の裃を着る時には小袖は必ず自分の紋付を下に着る様に心得るべきである。
それを小袖も裃も一様に御紋付のものを着て居たんでは、まるで主君の近縁の御親類方の家格と同等みたいに見えてしまうから、これではハナから主君へ対し奉り、大ボケの至りである。 況してそれが他家中の者の目にとまったら、 それから、上記の様に拝領した小袖が古くなって着用出来なくなった時は、御紋所は切り抜いて焼き捨てるべきである。 |
三十五 |
或る人の言うには、
「上古には、武士と申すものはコレ無く、農工商の三民迄にて事濟み候處に、右三民の中より盗賊と申すもの出来て民人を悩まし苦しめ候え共、三民共の力を以って打ち寄り相談を遂げ、同じ農民の中に於いても筋目を正し、其の人柄を選びて『士』と名付け、農業をやめさせ、衣食住の三つ共に何の不足もコレ無き如く三民の阨害に仕り、賊を防ぐ爲の役人と定め、三民の輩の上座へ立して『御侍』と申してあがまへうやまふ如く致すに付き、其の侍の義も手に鋤鍬を取り止め、賊徒を誅罸仕る時の心得として弓射馬に乗り、或いは鑓太刀の振り廻し様の手練を肝要と仕るを以って、盗賊共もコレを恐れて大勢申し合わせ、山林幽谷の間に居所を設けて要害を構えて、自分にも似合いの武具兵具を支度致して、容易く討ち殺されぬ用心を仕るに付き、右在々所々罷り在る武士共各申し合わせ、勢を揃へて大将分の侍を一人取り立て、其のものゝ下知指圖に任せ、種々の武畧手段をなして彼の地へ押し寄せ、盗賊共を退治仕る如く致すに付き、三民の輩大きにスび安堵の思いをなし、彌以って侍を重寶の役人と存じて彼是仕るより事起こりて、士農工商と有る四民の作法と定かにて、武家の初り也。」 と、こう有る。 しかれば、武士と申すものは三民の輩が安心して暮らせる様にしてやる爲の役人である事紛れも無い次第である。 爰の處をよくよく了簡し、自分の領地の百姓を少しは労わり、諸職人をも倒産させぬ様にし、町人・商人の資産を買い掛け・借金したとしたら、譬え一度に返済出来ないにしろ、長期間かけて少しずつでもコレを返し、損をさせ、迷惑をかけぬ様にとの心入れが無くては駄目である。 |
三十六 |
奉公を仕る武士は、主君の御意を以って諸役を仰せ付けられる際に、経理に関わる部署だけには、どの様な手段を講じても異動させられない様に逃げて逃げて逃げまくるべきだ・・・との心得が必要である。
何故かといえば、其の家中の大小の奉公人を始めとして、城下の町人、郷村の百姓以下に至る迄の連中に、少しの難儀をかける事無く、しかも藩主の利益を増大させる様に財務を取り計らうというのであれば、至って良い事であって、「眞の御爲者」とも「御重寶なる役人」とも呼ばれて然るべきであるが、但し、凡庸の智慧・才覺では、そういう風に双方に利益が出る様にとは却々出来ず、一筋に「主君の御爲にさへなれば」と思っていると民間人に難儀・迷惑をかける事になるし、反対に下々のスぶ様に・・・と心掛ければ、藩の財政にマイナスに作用してしまうなど、必ずどちらか一方に支障が出てしまうものなのである。 更に、どれ程才覚に恵まれた武士であったとしても、「貪欲」という病気には罹り易いものであるから、主君の御勝手向きをやりくりし、諸人にも重用され、資産のやりくりも自由になると思えば、軈て驕りの心も生じ、デカイ顔もしたくなるだろう。 扨又、其の身はさのみ欲深くもなく、先に言った贔屓・横領などはしないといっても、ただ主君の御爲なのだとか何だとか言って種々の思案を巡らし、藩代々の政策を無視した新法を創ったり、またはそれ迄の政策の簡略なんかをし始め、家中大小の諸奉公人の迷惑となるかも・・・などという思慮も無しに、城下の町人には過役を充て、郷村の百姓には高額納税を強い、或いは長期的に見て御家の藩政の邪魔になる国家の費え、民の煩いとなるとかならないとかいう事は考えもせずに眼前の、当面の利潤の様に見えるもののみを工夫して、分別不足の家老・年寄り・出頭人などを言いくるめてコレを飲み込ませ、其の事を主君に取り次がせて、「扨もよき御爲を仕候」などと主君に向かって言わせ、筋無き加増・褒美を申し受けておき、もしも其の新法の効果があがらず、やり直しの利かない大損害を出した場合は、さも件の家老・年寄りなどの指導方法の不備であったかの様にして誤魔化し、自分は其の人達の背後に隠れて罪科を遁れ、自分の身を守る算段をする。こういうのを名付けて「聚斂の臣」という。 先の「盗臣」も、それは不届きであるし、沙汰を限った不義であるとはいっても、分不相応に主君の持ち物などを盗み取り、天罰を蒙って悪事が露見したとしても、自滅して身命を亡ぼしさえすれば事は済み、埒も明いて諸人に難儀・迷惑をかける事もなく、勿論、主君の御家の政治の妨げ、国土の煩いになる様な大事に至る事は、そう無いものである。 併し「聚斂の臣」というものは、全人類に被害を齎す様な事を編み出し、重ねて、失敗したら取り返しがつかなくなる様な、国家政道の邪魔になる様な事をもしはじめるものであるが、譬え私腹を肥やす様な私欲取り込みをしなかったとしても、とんでもない罪科人としては此の上も無い人種である。であるから、中国の聖人の言葉にも、 よく、 但し、孔子の時代迄は「聚斂の臣」も「盗臣」も明らかに別物であるという認識があったからこそ、聚斂の臣より盗臣をマシと批評されたんじゃないかという事も聞く。 近世に至っては、其の身聚斂の臣にして、下々の諸人の難儀・迷惑になる様な事ばっかりを工夫し、しかも其の上盗臣の所業をも相兼ね、自分の役儀の威光を以って諸人に用いられ、種々の手段・才覚をめぐらして兎にも角にも人の物を自分の懐へ納めよう算段をするのを肝要とし、自分の身分に不相応なイ〜イ暮らしぶりをして、其の上普通の人なら持てない程の金銀迄を過分に貯め込んでいられるのは、他でもなく表向きは主人の御為に働いている風を装って、其の実自分の自由になる様にとばかり心懸けている事から起こる不義の富だからである。 であるから、武士を心懸ける者は、神仏の力を恃んでなりとも、主君の御勝手向きに関わる役職であれば「申し付けられませんように」と思って居るのが武士の正義なのである。それを、 武士道初心の武士心付けの爲、仍って件の如し。 |
武士たらん者の中にあって、至って頼もしい意地が有ると言える事の中にも様々有るが、それに加えて更に武道(武士道)の正義に適っていれば一段と良い事である。 何故なら小さい問題は言うに及ばず、譬えどんな難しい問題であっても、武士同士の間で、既に「頼むぞたのまるゝぞ」との会話が有ったのならば、其の問題を我が身に請け負い、苦労して世話を焼かなければならず、然も事の首尾によったら主君や家族の為にさえムザとは捨てぬ武士の一命をも、其の問題に関わったが爲に相果てさせる様な事にも成り兼ねないのである。 昔の武士は、人に物を頼まれたら「是はなる筋ならぬ筋」という事を分析して、「是は成まじき」と思ったら最初から断ってしまい、「是は可成筋の義」と思った一件に関しても、綿密に頭の中でシミュレーションを繰り返し、成算の見通しが立つに至った場合に初めて依頼を請け負うから、其の時には既に準備段階が終了して居り、計画に破綻を来たす可能性も限りなく減少していくのである。 然るにそういった思考を持たず、人が物を頼んで来る度にそれを請け負って、問題解決出来なかったとしても其の事を何とも思わない様な奴は、結局「不埒者」というレッテルを貼られてしまうのいうのがお決まりのコースなのだ。 さてまた、人に自分の思うところを語り、或いは意見などをするというのも、これまた義侠心から起こる事であるといえば尤もらしく聞こえるが、これにも実は思慮が必要なのだ。 且つ又(慎重を旨とせよとはいえ)、親類・他人を問わず、日頃心安い付き合いがある事から、何か腑に落ちない事があって相談を持ち掛けられた様な場合、ハナっから「我等なども合點がゆかぬ」等と一向相談に乗ってやらないなんてのは論外である。 既に相談相手として指名を受けたからには、例え質問者の意向に沿わず、気に入って貰えない様な回答しか出せなくとも、少しの遠慮も無く自分の思った事を論理的に、一通り残さず言ってみる方が、一段頼もしい気概であって、そうすべきであり、武士の正義なのである。 然るを、気弱にも、 当方を人格者と思って相談をして来るのであるから、適切な論理を以って相談に応じるべきを、ただ適当に都合のいい様な事ばかりアドヴァイスして結局相手に誤った判断をさせてしまう様な無分別者ならば、以後懇意になどして貰えないのは言う迄も無い。 事の相談を受けると決まったからには、先に言った様に人の気分を気にしたり心を気にしたりした結果、事の道理に背いた、筋目の通らない事を恰もそうすべきである等とアドヴァイスするというのは武士の本意ではない。加えて、後日になって「誰々も其事の相談相手にて有之」等と取沙汰されぬとも限らないという点にも警戒が必要である。 |
番頭や支配頭の下に付いて奉公を勤める小身の武士は、自分の頭たる面々の方針、又は組全体の善悪の状況などを、よく理解して居る訳であるから、若しも武士の名利に叶って立身を遂げて組を預かる様な立場になったならば、組下の面々をいたわり手懐けて、主君の御用にも相立つ様にするにはどうしたらよいかと考えておくべきである。 勿論「依怙贔屓等毛頭する積りはない」と初めは思うものであるが、併し其の身が段々立身して番頭、支配頭等と云う重い職役に成り上がってみると、以前人の配下に居た時の心入れとはまるっきり心変わりしていて、組下の面々をいたわり手懐けて、主君の御用にも相立つ様に等といった心付け等無くなってしまっているものだ。 |
武士(たらんとする)を心懸ける人間は、身分の高い者は云うに及ばず、譬え小身であっても、一日でも長く生き延びて、健康状態を完全無欠の状態にしておき、時が来るのを待って、是非一度は出世をして先祖累代の家を盛り立て、自分の栄誉をも末永く子孫に伝える事を念願とするのを本意とするべきである。 |
小身の武士が、戦争勃発した時に自分の槍を担がせて連れて行くべき中間一人すら思う様に雇えない経済状態のくせに、妻子等を扶養している等は大きな無分別であると心得るべきである。 但し、数多い親類・友達の中には様々な人間が居るので、まるで病気じゃねえかと云う程のバカが居る可能性が有る(だから親類・友達の中には、身分不相応にカミサン貰っちゃったりする奴が出る可能性は高い)。 (以上訳者の想像。原文は「但し多き親類友達の中にはさまゞゝの氣配のものも有之義なれば人に病煩と言事などもなくては不叶) それでなくとも小身者はすすぎ洗濯その他、台所仕事もしなきゃならんし、第一、子孫を絶えさせちゃいけねえから等と、自分のいい様な理由を考えて理屈付けをして、後先考えずに人の娘子を貰って来て奥さんにしちゃって、そりゃ当座は朝飯・晩飯は作ってくれるし、家事もやってくれて「こりゃいいや」なんと思っている裡に、やがて子供が後から後から出来て、その度に出費が重なり、遂には身上をすり減らして、たった一人使って居たナケナシの小者にも給金が払えずに暇を出し、代わりに(小者に払ってた給金で)子守り女なんぞを雇って、(武家なのに)留守番男すら居ない為体となり、挙句に妻子が病気になれば上司に「家族が病気なんで休んでいいっすか?」等と電話して休んで、大事な奉公を欠いたりなんかして、益々経済的に苦しくなって、ニッチもサッチも行かなくなって、自分と同格の連中と同じ生活レヴェルすら維持出来なくなってしまう様な奴が居るが、こういうタイプの90%は、自分が見境無く妻子なんか貰っちゃったのが悪いんだと云う認識も無く、主君は自分の苦境を知って居乍ら扶けてくれねえ等と恨みを呑んだりする。 だから小身の武士は、若くて気力も充実している頃に、昼夜の区別無く専ら奉公に励み、それによって主君のお眼鏡に適って相応の出世を遂げ、 「もはや是にては相應の妻子を召置ても養育の可罷成」 と確信してから、子孫相続の事を考え始めるべきなのである。 小身の武士の心得の為、仍って件の如し。 |
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