武道初心集・四頁目
 
文中、「侍」「侍」とよく出て来るが、江戸初期の文献に、「若党とは侍ともいい、これは武士扱いである。」という様な事が書いてある。
併し、「初心集」の文章を見るに、どうも此の頃には既に、「武士」と「侍」を同義に使われていた様な感を受ける。
若党とは、武士の従者である。
中間などは元々百姓から徴収されて使われていたが(のちには渡り奉公人などを江戸で随時調達)、若党クラスにはどういう出自の者がなるのであろうか。
単に禄の低い武士の倅かなんかだろうか。
それとも、出自が百姓・町人であっても、中間・小者などの中から身分を上げて貰って若党になれば、両刀を手挟める様になるのだろうか。
 
十一
奉公を仕る武士は、自分の屋敷ででもあれ、長屋ででもあれ、近所に棲む傍輩の中に重病人、亦は不幸等が有った場合には、例え其の者と日頃親しくしていなくても、高笑いをしたり演奏等をする事は堅く慎んで、妻子や召使い等にも其の点を厳重に申し付けるのだ。

これは先々、件の家の者との付き合いが生じた時の事を想定してというばかりではなく、諸傍輩に
「無遠慮の至り。扨も無作法者かな。」
と蔑まれる可能性のある事をも考慮しての慎みである。

初心の武士の心得の爲、仍って件の如し。

 
十二
武士たらん者は、自分の妻女等の性格上に理想通りにいかない点があった場合、事の道理を言い聞かせて、よく合点する様に申し教え、少々の事であれば許してやり、堪忍して置く様にするべきである。

併し、(妻女の)性格の悪い事尋常ではなく、どう考えても使い物にならないと感じる程なのであれば別である。暇を遣わして親元へ送り返すのも一向に構わないだろう。

併し乍ら、そうして離縁もせず、我が女房と定め、奥様カミ様と人にも言わせて置く者へ対し、高声を上げて種々の悪口雑言に及ぶというのは、市井の裏屋・背戸屋に住む八っつぁん熊さんみたいな者なら兎も角(市町の浦屋せどやなどに住居仕る日用山ごしの風情のものゝ義は格別)、既に一騎役をも勤めようという武士の所業としては決して有ってはならない事である。

況や以って、腰刀等を捻くり廻してみたり、イイ右を一発くれてやろう等というのは言語道断の不届きであって、是皆臆病武士の仕業である。
何故か。
武士の娘に生まれて人の女房となる程の年齢で、これが男だったら人にパンチなどくれられては却々我慢など出来ない筈であろうが、相手は浅ましい女である。涙を呑んで堪忍をしてやるべきである。
惣じて、こちらに手向かい出来ない相手と見えるのにも拘わらず理不尽の所業に及ぶ様な事は、猛き武士は決してしないものである。
猛き武士の嫌がってしない事を好んでする様なのを指して「臆病」というのだ。

初心の武士の心得の爲、仍って件の如し。

   
十三
主君を持った武士が、寸暇も無く毎日大変な奉公をする事に関して、先ず気を付けなければならない心得が有る。

説明しよう。
行く末永く勤められる事を約束されたかの様な気持ちが生じない様に、今日が最後の奉公だと常に認識しているべきなのだ。
何故かといえば、不確定要素の連続である我々の宇宙。其処に棲む人間は、高貴な者も賤しい者も、誰一人明日の事を知る事は出来ないのだから、主従の間に於いてもどの様な事態が出来するかは斗り難い。若し何事も起こらなければ、何年でも続く限り勤務出来るだろう。

先ず「奉公は一日切」とさえ認識して居れば、物事に退屈する事もなく、諸事を投げやりにもせず、「何事も皆其の日拂い」と心得て居る事で以って特別仕事に精が出るから、やり忘れがあったり失敗したりという事も、自ずから無くなる道理なのである。

それを、「いつまでもかわる事なく行末永き奉公」だと思っているから、問題が起こすわ、すぐに飽きるわし、そんなだから気も緩んで、簡単な仕事は言うに及ばず、こまめに打ち合わせをし乍ら片付けていかなくてはならない様な主君の御用向き迄も、
「それは明日の義、是は重ねての事。」
と、ラテン民族の様な「明日出来る事は今日しない。」みたいに投げやりにする。
或いは、同役や仲間内の間ででも、あっちへ廻されこっちへ廻されと盥回しにされるばかりで、誰一人として親身になって世話を焼いて呉れる人も無いから、片付けられない仕事は否が上にも増えてどう仕様もなくなるとか、そういう失敗ばかり繰り返す様になるのは、コレ皆遠い将来も仕事に就いているだろうと甘えて居るからであって、
「武士の奉公は一日切」
という事を考えて行動しない、心の油断から起こる過失なのである。最も恐れ慎む事である。

さて又、一ヶ月の内何日間とか定まったスケジュールの勤番をする武士の覚悟すべき点は、例えば夕方六時に交代となる番所の勤務で、自分が六時以降の勤務であるなら、主君の御館と自分の番所間の移動に要する時間と、季節による日没時間のタイミングのズレを計算に入れ、常に少し早目に家を出る様に心得るべきだ。

早く出勤しなきゃならないのに家の入り口を出たり這入ったりしてみたり、茶を一服だぁ煙草を一服だぁ言ってグズグズグズグズしていたりする。或いは、出勤間際に女房や子供とチョコチョコチョコチョコ雑談してたが爲に家を出る時間が遅くなってしまい、俄かにうろたえて誰と擦れ違ったかも判らない位に通勤ルートを全力疾走し、汗をダラダラ掻き乍ら番所へ駈け込んで、クソ寒いのに一人扇子なんか使い乍ら、
「ちと不叶用事有之おそく罷出る(-_-;)」
とか何とかすっとぼけて言うなんていうのは、「扨もうつけたる口上かな」と観察力の優れた者は思わないでは居ないだろう。
なんとなれば、武士の「勤番」というのは、仮初めにも
(←太平の世には番役など形だけのものと言っても過言では無いから)主君の御座所を警衛する役目なのだから、武士の奉公の中でも最も重要な役割なのだ。
だとすれば、例えどんな用事が有ろうとも、私用などを以って遅参に及ぶべきではないのである。

そればかりではない。そういった心得を以って、自分はいつでも早く出勤する心掛けを持っては居たとしても、自分の後に来る交代要員が来るのが遅いのを待ち兼ね、もゝ尻(桃尻か?だとすれば、尻の据わりが悪い事。)に成って大あくびをし、主君の御館内に、もう少しでも居る事を嫌がり、帰りたくてソワソワしているなんていうのは、近頃見苦敷き次第であると、コレを慎むべきである。

扨又、自分の両親が患っているので目が離せない等の理由で「看病休暇」などを提出して欠勤するというのは尤もの事であって、そうすべき事である。併しこれが自分の子供の事となると話は別で、子供が患っていて看病休暇を申請して然るべきか否かは、親たる者の身分というか禄高というか・・・身上の具合で判断すべきだろう。
其の故如何となれば、大身小身によらず、子が患っているのを親の身で心配しないなんて事は無い訳だが、自分に代わって看病をする家来の一人や二人を持つ身だとしたら、必ずしも自分が居なくてはならない状況とはいえず、子供が病気だという理由での「看病休暇願い」を出して欠勤をする程の事とはいえない。

但し、小身武士などの様に、確かな家来を持たない者なのであれば、介抱を兼ねての事であるならこれはまた別の話であるが。

就中、大身は言うに及ばず小身武士であっても、自分の女房の看病で「看病休暇」を提出して、主君への奉公を欠勤するという様なのは大きに間違いである。併し、それが余程危ない状態であるのなら、自分が病気だという事にして引籠って看病してやるというのも正しい判断といえるだろう。

初心の武士の心付けの爲、仍って件の如し。

 
十四
主君の御側近くに奉公する武士が、時折々の御心付けとして主家の御定紋の付いた御小袖、または裃等を拝領した場合、主家の御紋付の小袖を着用する時には自分の紋付の裃を上に着て、主家の御紋付の裃を着る時には小袖は必ず自分の紋付を下に着る様に心得るべきである。

それを小袖も裃も一様に御紋付のものを着て居たんでは、まるで主君の近縁の御親類方の家格と同等みたいに見えてしまうから、これではハナから主君へ対し奉り、大ボケの至りである。

況してそれが他家中の者の目にとまったら、
「主人よりいつ称号
(受領名か、若しくは地名の入らない官職名か)をゆるし給うとある沙汰もなきには近頃無作法の至りうつけたるなりかな」
との誹りは免れないだろう。何故なら、「主君の御紋付と有小袖上下を取そろへて着用仕る義堅く停止」という法度が出ている家中も実際在るからである。

それから、上記の様に拝領した小袖が古くなって着用出来なくなった時は、御紋所は切り抜いて焼き捨てるべきである。
何故かと云うと、小身武士などは女房・召使いなどに申し付けて古小袖の濯ぎ・洗濯をさせる以外に無いだろうが、そういう時、女の事であるから何の注意もせずに御紋の付いた部分の生地を古継ぎ用の布などに再利用して、腰より下に身に着けるものの裏地なんぞに使ってしまってしまう様な事も有る。
こっちはそれと知らないから、それを下着や寝巻きに使ってしまって、御紋を踏み穢してしまう事になる。
すると、人知を超えたバチが御主君から与えられ、或いは「尻ばす
(病名か)」又は「すねくさ(是も病名か)」などという、腰より下の病気に罹って難儀して大弱りする事になるんだとの言い伝えもある。
譬えそうした病気が出なくとも、武士の義理を弁えているなら、固く恐れ慎むべき事である。
初心の武士の心付けの爲、仍って件の如し。

 
十五
或る人の言うには、

「上古には、武士と申すものはコレ無く、農工商の三民迄にて事濟み候處に、右三民の中より盗賊と申すもの出来て民人を悩まし苦しめ候え共、三民共の力を以って打ち寄り相談を遂げ、同じ農民の中に於いても筋目を正し、其の人柄を選びて『士』と名付け、農業をやめさせ、衣食住の三つ共に何の不足もコレ無き如く三民の阨害に仕り、賊を防ぐ爲の役人と定め、三民の輩の上座へ立して『御侍』と申してあがまへうやまふ如く致すに付き、其の侍の義も手に鋤鍬を取り止め、賊徒を誅罸仕る時の心得として弓射馬に乗り、或いは鑓太刀の振り廻し様の手練を肝要と仕るを以って、盗賊共もコレを恐れて大勢申し合わせ、山林幽谷の間に居所を設けて要害を構えて、自分にも似合いの武具兵具を支度致して、容易く討ち殺されぬ用心を仕るに付き、右在々所々罷り在る武士共各申し合わせ、勢を揃へて大将分の侍を一人取り立て、其のものゝ下知指圖に任せ、種々の武畧手段をなして彼の地へ押し寄せ、盗賊共を退治仕る如く致すに付き、三民の輩大きにスび安堵の思いをなし、彌以って侍を重寶の役人と存じて彼是仕るより事起こりて、士農工商と有る四民の作法と定かにて、武家の初り也。」

と、こう有る。
私は文盲至極であるから、此の一説の虚実を考証出来る程の能力は無い。だが、今時の世間に於いても、農業をやめて武士と成った者を、武士の仲間うちでもさのみ嫌いはせず、逆に武士を辞めて農業を営んでいる場合でも少しも士の疵にもならないばかりか、再度武士になる様な者も実際居る。
職人・商人の中からは武士に成り難く、勿論武士を辞めて、譬え一日たりとも職人・町人になってしまってからは、再度武士に戻り兼ねる風潮が有る事を考えてみれば、前述の一説も故無しとしない様に思われる。

しかれば、武士と申すものは三民の輩が安心して暮らせる様にしてやる爲の役人である事紛れも無い次第である。
であるからには、大身は言うに及ばず、小身たりと雖も、武士と呼ばれる身としては、三民の輩等に対して無理非道な事はしてはならない道理であるにも拘わらず、一向にそんな心構えも無く、農民には無体な納税を強い、其の上種々の賦役を課して使い潰し、職人に物の製造を注文しては、其の作料・手間賃をも支払わず、町人・商人等の所持品を調べると称しては、其の代物を奪い取ってしまう。或いは、金銀を借りても、寝そべって知らぬ存ぜぬで借り倒しにしてしまうなどは、武士の本意に外れた大不義と言うべきである。

爰の處をよくよく了簡し、自分の領地の百姓を少しは労わり、諸職人をも倒産させぬ様にし、町人・商人の資産を買い掛け・借金したとしたら、譬え一度に返済出来ないにしろ、長期間かけて少しずつでもコレを返し、損をさせ、迷惑をかけぬ様にとの心入れが無くては駄目である。
盗賊を縛める役人たる武士として、盗賊の真似をする様ではイカン筈であるという心得が肝要なのである。
初心の武士の心付けの爲、仍って件の如し。

 
十六
奉公を仕る武士は、主君の御意を以って諸役を仰せ付けられる際に、経理に関わる部署だけには、どの様な手段を講じても異動させられない様に逃げて逃げて逃げまくるべきだ・・・との心得が必要である。

何故かといえば、其の家中の大小の奉公人を始めとして、城下の町人、郷村の百姓以下に至る迄の連中に、少しの難儀をかける事無く、しかも藩主の利益を増大させる様に財務を取り計らうというのであれば、至って良い事であって、「眞の御爲者」とも「御重寶なる役人」とも呼ばれて然るべきであるが、但し、凡庸の智慧・才覺では、そういう風に双方に利益が出る様にとは却々出来ず、一筋に「主君の御爲にさへなれば」と思っていると民間人に難儀・迷惑をかける事になるし、反対に下々のスぶ様に・・・と心掛ければ、藩の財政にマイナスに作用してしまうなど、必ずどちらか一方に支障が出てしまうものなのである。
この点から、こういう役職に関わり合わない方が良いと云うのである。

更に、どれ程才覚に恵まれた武士であったとしても、「貪欲」という病気には罹り易いものであるから、主君の御勝手向きをやりくりし、諸人にも重用され、資産のやりくりも自由になると思えば、軈て驕りの心も生じ、デカイ顔もしたくなるだろう。
そうなれば自然と分不相応の暮らしをする様になって、トチ狂って特定個人を贔屓してみたり、自分ちの家計が苦しくなれば横領にも手を染める様になり、悪い評判が立って、結局身を持ち崩す結果となるものと相場が決まっている。
是を名付けて「盗臣」とか云うのである。(是を名付て盗臣とか申にて候)

扨又、其の身はさのみ欲深くもなく、先に言った贔屓・横領などはしないといっても、ただ主君の御爲なのだとか何だとか言って種々の思案を巡らし、藩代々の政策を無視した新法を創ったり、またはそれ迄の政策の簡略なんかをし始め、家中大小の諸奉公人の迷惑となるかも・・・などという思慮も無しに、城下の町人には過役を充て、郷村の百姓には高額納税を強い、或いは長期的に見て御家の藩政の邪魔になる国家の費え、民の煩いとなるとかならないとかいう事は考えもせずに眼前の、当面の利潤の様に見えるもののみを工夫して、分別不足の家老・年寄り・出頭人などを言いくるめてコレを飲み込ませ、其の事を主君に取り次がせて、「扨もよき御爲を仕候」などと主君に向かって言わせ、筋無き加増・褒美を申し受けておき、もしも其の新法の効果があがらず、やり直しの利かない大損害を出した場合は、さも件の家老・年寄りなどの指導方法の不備であったかの様にして誤魔化し、自分は其の人達の背後に隠れて罪科を遁れ、自分の身を守る算段をする。こういうのを名付けて「聚斂の臣」という。

先の「盗臣」も、それは不届きであるし、沙汰を限った不義であるとはいっても、分不相応に主君の持ち物などを盗み取り、天罰を蒙って悪事が露見したとしても、自滅して身命を亡ぼしさえすれば事は済み、埒も明いて諸人に難儀・迷惑をかける事もなく、勿論、主君の御家の政治の妨げ、国土の煩いになる様な大事に至る事は、そう無いものである。

併し「聚斂の臣」というものは、全人類に被害を齎す様な事を編み出し、重ねて、失敗したら取り返しがつかなくなる様な、国家政道の邪魔になる様な事をもしはじめるものであるが、譬え私腹を肥やす様な私欲取り込みをしなかったとしても、とんでもない罪科人としては此の上も無い人種である。であるから、中国の聖人の言葉にも、
「聚斂の臣あらんよりはむしろ盗臣あれ」
とやらいう言葉が有るのであろう。

よく、
「武士の身にとりて盗臣の名を蒙るより外に重き悪事とては無之」
様に言われるが、聖人の御言葉に
「聚斂の臣あらんよりは・・・」
とあるからには、武士の罪科の至極というのは「聚斂の臣」であると認識を変えねばならない。
そうなると、、盗臣の刑罰として斬首をするのであれば、聚斂の臣は磔にでもしたいところである。

但し、孔子の時代迄は「聚斂の臣」も「盗臣」も明らかに別物であるという認識があったからこそ、聚斂の臣より盗臣をマシと批評されたんじゃないかという事も聞く。

近世に至っては、其の身聚斂の臣にして、下々の諸人の難儀・迷惑になる様な事ばっかりを工夫し、しかも其の上盗臣の所業をも相兼ね、自分の役儀の威光を以って諸人に用いられ、種々の手段・才覚をめぐらして兎にも角にも人の物を自分の懐へ納めよう算段をするのを肝要とし、自分の身分に不相応なイ〜イ暮らしぶりをして、其の上普通の人なら持てない程の金銀迄を過分に貯め込んでいられるのは、他でもなく表向きは主人の御為に働いている風を装って、其の実自分の自由になる様にとばかり心懸けている事から起こる不義の富だからである。
これを名付けて「聚斂盗臣を合せたる大賊」というのだ。
こういう大罪人だと、どんな罪名を付けても「これでOK」という程簡単に片付けられなくなってしまう。

であるから、武士を心懸ける者は、神仏の力を恃んでなりとも、主君の御勝手向きに関わる役職であれば「申し付けられませんように」と思って居るのが武士の正義なのである。それを、
「若左様の役儀の明もあれかし勤めて見度」
(左様の役儀には役得もあろう。勤めて見たい。という意味か。)
などと思う心がニョッキリ出て来るとすれば、コレはひとえに武運の盡きる前兆であって、「土佛の水あそび」という譬えに等しい道理であると惧れ慎むべきである。

武士道初心の武士心付けの爲、仍って件の如し。

 

十七

武士たらん者の中にあって、至って頼もしい意地が有ると言える事の中にも様々有るが、それに加えて更に武道(武士道)の正義に適っていれば一段と良い事である。
とは言え、訳も無く「頼れる漢」を気取って、行かなくても良い所へ迄出しゃばって行って、自分が苦労する必要の無い事迄をも請け負い、取り持つなどというのは「差し出者」とも言い、そういう物事に関わり合うのは大いに宜しからぬ事ではある。
特に若い面々には其の心得が必要である。
「少しかまひても・・」と思える事であったとしても、人が「是非に」と言って頼んで来ない事なのならば口を出す必要など無いのだ。

何故なら小さい問題は言うに及ばず、譬えどんな難しい問題であっても、武士同士の間で、既に「頼むぞたのまるゝぞ」との会話が有ったのならば、其の問題を我が身に請け負い、苦労して世話を焼かなければならず、然も事の首尾によったら主君や家族の為にさえムザとは捨てぬ武士の一命をも、其の問題に関わったが爲に相果てさせる様な事にも成り兼ねないのである。
この点から、訳も無く「頼れる漢」を気取るのはよせと言うのである。

昔の武士は、人に物を頼まれたら「是はなる筋ならぬ筋」という事を分析して、「是は成まじき」と思ったら最初から断ってしまい、「是は可成筋の義」と思った一件に関しても、綿密に頭の中でシミュレーションを繰り返し、成算の見通しが立つに至った場合に初めて依頼を請け負うから、其の時には既に準備段階が終了して居り、計画に破綻を来たす可能性も限りなく減少していくのである。
だから人も「埒明かな」と褒め称えたりするのである。

然るにそういった思考を持たず、人が物を頼んで来る度にそれを請け負って、問題解決出来なかったとしても其の事を何とも思わない様な奴は、結局「不埒者」というレッテルを貼られてしまうのいうのがお決まりのコースなのだ。

さてまた、人に自分の思うところを語り、或いは意見などをするというのも、これまた義侠心から起こる事であるといえば尤もらしく聞こえるが、これにも実は思慮が必要なのだ。
何故なら、人の親・師匠・兄・伯父などと言われる者であれば、子や弟子や甥・弟などに対してはどの様な異見・思いなどを言い過ぎても構わないけれど、それさえ「武士の口から物を申す」事は重大な事であるという認識あっての事でないといけない。
いわんや友・傍輩へ異見をしたり、己の見解を述べたりする場合は、慎重を心掛けないといけないという認識を持つのは尤もな事である。

且つ又(慎重を旨とせよとはいえ)、親類・他人を問わず、日頃心安い付き合いがある事から、何か腑に落ちない事があって相談を持ち掛けられた様な場合、ハナっから「我等なども合點がゆかぬ」等と一向相談に乗ってやらないなんてのは論外である。

既に相談相手として指名を受けたからには、例え質問者の意向に沿わず、気に入って貰えない様な回答しか出せなくとも、少しの遠慮も無く自分の思った事を論理的に、一通り残さず言ってみる方が、一段頼もしい気概であって、そうすべきであり、武士の正義なのである。

然るを、気弱にも、
「かやうに申たらんには若も心に障るべきか氣にあたるべきか」
等と云う下手遠慮をして、其の場凌ぎの回答に及び、結果相手に言いたくない事も言わせ、或いは暴力沙汰を起こさせ(?)原文・・・「仕方の負をとらせ」などして、人々から誹りや嘲りの的にさせてしまうなどというのは、人の相談相手と頼られた甲斐も無く、畢竟「頼もしからざる」根性から起こる不届きである。

当方を人格者と思って相談をして来るのであるから、適切な論理を以って相談に応じるべきを、ただ適当に都合のいい様な事ばかりアドヴァイスして結局相手に誤った判断をさせてしまう様な無分別者ならば、以後懇意になどして貰えないのは言う迄も無い。
(一寸、前の文章から意味が通じないので原文・・・我を人がましく思ひて相談を致し懸るに付ては理の當る所を以相談に及ぶべき義を不用して己が心まかせに致して事を損ずるごとくなる無分別ものならば以来入魂仕間敷は格別の義也)

事の相談を受けると決まったからには、先に言った様に人の気分を気にしたり心を気にしたりした結果、事の道理に背いた、筋目の通らない事を恰もそうすべきである等とアドヴァイスするというのは武士の本意ではない。加えて、後日になって「誰々も其事の相談相手にて有之」等と取沙汰されぬとも限らないという点にも警戒が必要である。
初心の武士の心付の爲、仍って件の如し。

 

十八

番頭や支配頭の下に付いて奉公を勤める小身の武士は、自分の頭たる面々の方針、又は組全体の善悪の状況などを、よく理解して居る訳であるから、若しも武士の名利に叶って立身を遂げて組を預かる様な立場になったならば、組下の面々をいたわり手懐けて、主君の御用にも相立つ様にするにはどうしたらよいかと考えておくべきである。
(此の部分鳥渡自信無し。原文「主君の御用にも相立様にとの致し懸は如何程と可有之もの也」)

勿論「依怙贔屓等毛頭する積りはない」と初めは思うものであるが、併し其の身が段々立身して番頭、支配頭等と云う重い職役に成り上がってみると、以前人の配下に居た時の心入れとはまるっきり心変わりしていて、組下の面々をいたわり手懐けて、主君の御用にも相立つ様に等といった心付け等無くなってしまっているものだ。

譬え自分の功績に依って上の思し召しに預かり、どんないい役職に就いたとしても、小身の時の事を忘れる事無く、「人の幸は得がたくして失いやすき」という慎みの心さえあれば、自ずから物事におこたりは無いのだ。
おこたりがなければ奢りも生じない。
奢りが無ければ、其の身に禍の来る筈も無いのである。

併し乍ら待遇が良くなれば、それにつれて心まで昂ぶってしまう確率は90%。これも古今に通じる人情である。
織田家の佐久間羽柴家の魚住などという輩は、小身の時は相当良い武士であったけれども、大身となってのちは分別が変わってしまって主君の見限りを蒙り、身上も潰してしまった。
斯様の例は、奉公する小身の武士の反面教師ともすべき先例である。

特に注意すべき点として一例を挙げれば、例えば自分が小身にて人の組に編入されて奉公している間には、組の内で異例の出世をする人間が出る事がある。特に職務上の功績も無く、名家に生れた訳でもないのに、突然先輩を飛び越して出世などをした者が居た場合、これはひとえに番頭組頭の不吟味か、または依怙贔屓の沙汰であるなどと、内々にてそしりつぶやくなどというのは定まり事である。此の点には常に注意が必要だ。

其の身が出世して番頭・組頭等と云う役職に就いたならば、部下一人ひとりの人間性の善悪、或いは勤続年数等を能く把握し、毛頭も依怙贔屓をせず、順路正道に部署を統括すると云うのが武士の正義である。
だが、自分の部署の侍の中に、さのみ勝れた人柄とも云えず、仕事が出来る訳でもないのに、藩の(原文「其家の」)家老・年寄・出頭人等の親類縁者、亦は単に親しい間柄である事を理由に、
「此者を役人に旁出し候様に」
等と、嫌とは言えない立場の上司から内々に頼み事をされる事も無いではない。こうした際に返答すべきは、
「主君の御意を以御人ざしと被仰出儀にても候はゞそれは格別の儀にて御座候。其外内縁の筋を以組中の吟味に相當らざる者を書出し候と有儀は決而不罷成候。子細は組支配に付依怙贔屓など不仕様にと有之儀は番頭たる面々へは上よりの堅き御制禁の筋にて候。然處に各よりの御内意に随ひ候ては上の御大法に背き御後暗仕形に罷成其上此者一人の儀を以手前組の諸侍の心入もそむけ候ては畢竟上の御爲に不罷成義に候間他組の儀はいかんも候へ我等組におゐては組頭の面々と相談の上其人がらと御奉公の勤方との二ツを能吟味仕り相應の者を撰びて書上申外無御座候間左様御心得可被成候」
旨、先方が誰であれ言い放ち、屹度申し断る。これを士大将番頭役を勤める武士の器量というのである。

だが、そういう事を一言も言い出す事が出来ずに、人の言うがままの人事をして挙句に部下に見限られると云うのは、近頃未練の仕合せ、不器量の至りと云うべきである。
こういうのは皆小身の頃の心(初心)を忘れ、出世する程「もっと出世を」と願う名利の欲心から来る追従軽薄の意地としか言い様が無い。
但し、嫌とは言えない相手の指図に反抗し、筋目立った返答をしたのが裏目に出て、嫌がらせ人事をされてしまう惧れは無いのか。
此の場合は「鼻は曲がりても息さへ出ればよきぞ」と割り切ってしまっていれば、あとは覚悟次第と言うしかないから、敢えて論ずべくも無いだろう。
初心の武士の心得の爲、仍って件の如し。



十九

武士(たらんとする)を心懸ける人間は、身分の高い者は云うに及ばず、譬え小身であっても、一日でも長く生き延びて、健康状態を完全無欠の状態にしておき、時が来るのを待って、是非一度は出世をして先祖累代の家を盛り立て、自分の栄誉をも末永く子孫に伝える事を念願とするのを本意とするべきである。

況してや奉公を勤める身で主恩を深く蒙り、我が身を始め妻子従者迄をも扶養する立場であってみれば、「我身命を一度は主君の御用に相立ずしては叶わず」と云う位の覚悟をしていないのでは、誠の武士の志とは言えないのである。

随って、先ずは我が身のヘルスケアを第一に考えるべきである。
大食い、大酒、淫乱等の不養生等も、若い頃は大して害は無かろうと思ってしまう事が間々有るが、爰に落とし穴が有る。尠くない人間が脾臓や胃を破壊されるか、血液濃度は正常でも血液の全体量が不足して内蔵全般に不良を来して若死にをする人間は世間に幾らも居るのである。

この点に注意し、若く血気も盛んで無病息災である裡にヘルスケアを心懸け、飽食大酒淫乱等を慎む者は7〜80歳迄も長生をし、手足も達者で壮年の者にもそうそう劣らぬ状態にあるものだ。

処がそうした心懸けも無く不養生をする者は、40〜50程度の寿命を漸く保つ程度か、或いは稀に生き延びても、罹らなくても良い病気に罹って寝たきりとなり、何の為に生きているのか分らなくなってしまうのだ。

殊に50歳を過ぎてからは、いよいよヘルスケアを心懸け、飲食もセーブし、勿論淫乱等は特に慎むべきであるのを、50有余歳にもなって若い頃の様な不養生をしている場合等は、沙汰の限りである無分別の不調法この上ない話だ。

是はひとえに武士道の心懸けが薄く、主君への奉公・忠勤の心入れの鈍さから起こす過ちというべきだ。
こういう事が何故起こるかと根本的な原因を考えてみると、究極的には「怺え性が無い」事から起こるものだとの結論を得た。
「怺え性が無い」と言えば聴こえはいいが(※1)、畢竟「臆病の気さし」とも云うべきものである。恐れ慎むべし。仍って件の如し。

(※1)原文は「かんにん情がなきといへば」。
「堪忍」と云う言葉は、現代に於いては「我慢する」と「赦す」の二通りの意味が有るが、若しかしたら当時は、此の何れも「かんにん」で通していたのかも知れない。
つまり、武士の意気地の発現として能く言う「最早堪忍成らじ」の様なイメージで聴けば聞こえがいいが、結局は我慢出来ない、怺え性が無いと云う事だ・・・と云ったニュアンスか。



四十

小身の武士が、戦争勃発した時に自分の槍を担がせて連れて行くべき中間一人すら思う様に雇えない経済状態のくせに、妻子等を扶養している等は大きな無分別であると心得るべきである。

但し、数多い親類・友達の中には様々な人間が居るので、まるで病気じゃねえかと云う程のバカが居る可能性が有る(だから親類・友達の中には、身分不相応にカミサン貰っちゃったりする奴が出る可能性は高い)
(以上訳者の想像。原文は「但し多き親類友達の中にはさまゞゝの氣配のものも有之義なれば人に病煩と言事などもなくては不叶)

それでなくとも小身者はすすぎ洗濯その他、台所仕事もしなきゃならんし、第一、子孫を絶えさせちゃいけねえから等と、自分のいい様な理由を考えて理屈付けをして、後先考えずに人の娘子を貰って来て奥さんにしちゃって、そりゃ当座は朝飯・晩飯は作ってくれるし、家事もやってくれて「こりゃいいや」なんと思っている裡に、やがて子供が後から後から出来て、その度に出費が重なり、遂には身上をすり減らして、たった一人使って居たナケナシの小者にも給金が払えずに暇を出し、代わりに(小者に払ってた給金で)子守り女なんぞを雇って、(武家なのに)留守番男すら居ない為体となり、挙句に妻子が病気になれば上司に「家族が病気なんで休んでいいっすか?」等と電話して休んで、大事な奉公を欠いたりなんかして、益々経済的に苦しくなって、ニッチもサッチも行かなくなって、自分と同格の連中と同じ生活レヴェルすら維持出来なくなってしまう様な奴が居るが、こういうタイプの90%は、自分が見境無く妻子なんか貰っちゃったのが悪いんだと云う認識も無く、主君は自分の苦境を知って居乍ら扶けてくれねえ等と恨みを呑んだりする。

だから小身の武士は、若くて気力も充実している頃に、昼夜の区別無く専ら奉公に励み、それによって主君のお眼鏡に適って相応の出世を遂げ、
「もはや是にては相應の妻子を召置ても養育の可罷成」
と確信してから、子孫相続の事を考え始めるべきなのである。

小身の武士の心得の為、仍って件の如し。

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