武士心得

武士には、何時何処で何が起こっても、夫れに対処する為の、「武士としての心得」が無くては遅れを取る。

其の具体例を挙げて、対処法を説いているのが、「武士心得之事」(文政七年)なる書である。
ちょっと御手軽に過ぎるが、夫れを茲に丸写ししてみよう。但し完全現代文に直されて居り、然も抜粋になっている。
(至文堂・進士慶幹江戸時代の武家の生活より。掲載許可得てます。)

   
   
@、侍切合居候(みぎり)分ヶ様之事

どんな場所でも、抜き合わしているところに行き逢ったならば、早速様子を見届け、双方偕に疵を受けていない時は、刀を鞘ごと抜いて分けて入るものである。もし一方が疵を受けていたならば、其の場所に控えていて、勝負をつけさせるべきである。

A、和睦盃之事

B、喧嘩扱心得之事

扱いに入るには、先ず自分の死を覚悟する。もしこの扱いが成就しなかったならば切腹すると、心に決めなければ、扱いに入るものではない。

C、助太刀打様之事

これは侍として、頼まれた以上、どうしてもひけない場である。助太刀とは先ず相手を働かすものである。頼まれた方が相手よりも弱いと見たときにこそ助太刀が必要となるのであるから、それ以前にむざと抜き合わすものではない。ただ言葉をかけるだけでよい。頼まれた方が勝ち、「助太刀の人早く退き候え」といわれたならば、早く退いた方がよい。卑怯かと思って退かないのは悪い。其の理由は、先方は一人で、こちらは二人であり、そのような場で死んでは大きな損だからである。助太刀も抜き合わせては、相手になることになってしまい、それで死んでしまっては、頼まれた人のために少しもならない。このところをよく考えるべきである。

D、留メ指様之事

(須保孫右衛門角長・注)
この項目の内容は
、「その全部を掲げるのは冗長に過ぎるので」という事で、「A和睦盃之事」の様に、管理人が参照している本では省かれているが、「留めの刺し様」というのは、どうも、「仆した相手に跨って」刺す事をいっているものと思われる。
刺す箇所に就いては不明である。
但し、留めを刺すのは「相手に遺恨が有る場合に限られる」のだそうだ。
従って、当座の喧嘩・口論の際に相手を仕留めても、トドメは刺さない。
という事は、辻斬り的に襲い懸かって来た相手に對しても遺恨など無い訳だから、留めを刺さないのだろうか?

E、隠シ留メ差様之事

討ち放しては留メのいらないものであるが、あと少しも騒がずというところを知らせるため、あるいは、留メをせずに(生死を見極めないで)などと人からいわれないために、相手の下褄を切り裂いて置くか、刀を拭った紙を相手の袖の内に入れて置くとよい。これを隠シ留メという。

F、人を切たる刀ゆかみ直し様之事

これは、目釘穴に糸を通し、井戸に一夜つるして置くとよい。座敷では大きな桶に水を入れ、水より一寸ほど上にさかさまにつるすとよい。また死人の腹で叩き直すのもよい。

G、人を切たる刀見様之事

H、人を切たる刀不知仕様之事

馬糞でぬぐうのがよい。早稲藁(わせわら)の灰で何度もとれるまで拭ってもよい。

I、切腹法式之事

(須保孫右衛門角長・注)
これは
「切腹」の項目を参照戴き度いが、或る武家では、こうした心得書を紐解く迄もなく、其の家の倅共が起きると、毎朝必ず朝食前に父親(か教育係か?)が切腹の作法を教えたなんという記述が残っている。(出典忘れ)

J、介錯被頼心得之事

傍輩が切腹を仰せ付けられると、心易いからといって介錯を頼まれることがあるが、決して引き受けてはいけない。もし、どうしても介錯しなければならないときには、本人の刀で介錯するものである。本人には合口(匕首)か小脇差を渡す。本人が喧嘩などで本望を遂げて切腹するようなときは、介錯人は刀を戴き、本望を遂げなかったときは戴かないで介錯する。
(須保孫右衛門角長・注)
これは
「切腹」に書いたんだったか、「試し斬り」に書いたんだか忘れたが、介錯する時、切腹人が目上の人物なら上段(大上段?)に構え、自分と同格の人物だったら八双に構えるという説も有る。
何でもそうだろうが、こういうものも、時期や土地柄でも変わるものなのだろう。
或いは、今言った様な基準を踏まえた上で、「喧嘩で本望遂げた時」には特別の措置で上段に構えたり下段に構えたりと、仕方を変えるのか。

K、介錯仕様之事

L、副使心得之事

M、検使心得之事

N、客に行亭主勝手ニ而家来を切時出合之事

このときは、取り()え(仲裁)などに出ないがよい。その場に出て行くと、助太刀に現れたように思って、逃げようとすることもあり、切り損じなどしたら外聞が悪い。脇道から出るか、座敷で裏に廻る廊下などがあれば、そこから出るかして、先ず門をとざすがよい。その者を逃がさないようにするためである。ともかく、その場には出合わず、脇口より出合うようにすべきである。

O、向ヨリ手負追掛来り頼時言葉遣之事

道で手負いを追いかけて来た者に、『その者を御頼み申す』と声をかけられても、請けあってはいけない。主人の使に参る途中だからなどといって構わぬがよい。江戸などのように広いところではなおさらのことである。それは、その手負を斬り倒したときに、頼んだ者が脇に道をそれてしまったならば、頼まれた者一人の落度になるからである。
(須保孫右衛門角長・注)
著作権上、「書き換えた」等とクレームが付いては何なので一応断り置くが、題名の「ヨリ」はテキストでは合字になっているが、パソコン上では表記不能に付、片仮名にした。
(此項関連情報)

P、手負血留[薬]附様之事

Q、手負当座療治之事

(須保孫右衛門角長・注)
此の項目も内容を割愛されて居るが、刀創には馬糞を塗るのが良いとする説も有り。

R、番所へ走込来ル時心得之事

これは昔と今とでは異なるから一様にはいえない。昔は武士の走り込みがあれば、どんなことでも引渡しの要求には応じなかった。今はそうしたことはなく、走り込みも多くは物盗りに来るのが多いから一様にはいえない。江戸でそういうことがあったならば、自分の長屋に連れてくるのがよい。そうして置けば、不調法があっても、自分の不調法だけで済み、主人には迷惑がかからないからである。

S、走込隠シ様之事

これは昔から天井や縁の下に隠すから、すぐ探し出されてしまうのである。だから、尋ねる人が来たときの挨拶に、畳まで残らず上げて置いたから、御吟味なさるようにといい、畳を積み重ねて、中央に六、七枚ほどの空き間をこしらえてその中に隠し、上からまた畳を積んでしまうがよい。

(須保孫右衛門角長・注)
歴史に興味の無い方がいきなり此の項目を御覧に成ったら(御覧に成るかぁ?)「走込」とは何ぞやとの疑問も出で間敷きに非ずなので、ちょいと補足。

またの名を「駆け込み者」。
要は、何かの事情で追っ掛けられて来て、何処かの家に迯げ込んで来た人の事。
例えば江戸表で、A藩の士が同藩の他の士に追われてB藩邸に迯げ込む。或いは、幕府から追われた何某がA藩邸に迯げ込む等ケースは様々であろうが、要は何処かの藩邸に迯げ込んでしまえば、其処んちの藩士ではない追っ手は当該藩邸へ乗り込んで追跡を続行する事が出来ない事を知った上で「駈け込む」逃亡者を云う。

と言うと意味を狭義に解釈してしまいそうなので、もっと言えば、A藩の領地内で何かやらかしたA藩士@が、同じ家中の藩士Aの家に迯げ込んでも「駆け込み者」になろうが、是では他藩の屋敷へ迯げ込んだ場合と違い、「治外法権的に匿って貰える」訳では無い。

駆け込み者があった場合、駆け込みされた側は断固として当該人物を匿うのが一般的とされる。(江戸期にはそうであったフシが有る。)
併し是も飽く迄一般論というか、理想論というかであって、藩に依っては江戸屋敷に駈け込みが有った場合、「断固として撥ねつけよ」との法を設けた例も有る。
勿論、「断固として匿うべし」を法とする藩も有ったのは云迄も無い。

21、追掛もの討来ルニ働たるものか自害之ものか見分様之事

(須保孫右衛門角長・注)
例えば@やA等の、○で括った数字は、私のパソではS迄しか用意されていないらしい。試しにやってみて戴き度い。

22、手負居ル所ヘ寄様之事

23、手負川ヘ伏たる時寄様之事

24、水死人見分様の事

(須保孫右衛門角長・注)
変死人が出た時全てではないだろうが、大概の場合に於いて役人が検死を行う事に成ろう。
この時各地の検使(・・)達は、検死マニュアル態の物を参考にしていた様である。

「国書総目録」には、マニュアルの種類も検使階梯、検使口伝、検使御定法、検使弁疑等、四十種ほど見つかるという。目録に掲載されなかった分もあろうから、其の総数はかなりなものになろう。

24項は「水死人の見分け様」であるが、似た状況として、マニュアルの中の一つ「無冤録述」に、井戸に落ちた者に就いての記述が有るので、そいつを引用してみよう。

「井戸へ落死したる者、其死人が我と我が身を投じたれば、足が下になつて居るべし。首が下になつてあるなれば、人に追こまれたか又は推しこまれたかなり。」

25、首縛もの見分ケ様之事

26、火死見分様之事

(須保孫右衛門角長・注)
24項と同様、「無冤録述」から、「火焼死」の項目を引用してみる。

「人の家の焼る時に、あはてゝ焼死した屍は、焼落ちた瓦などの下に在はづなり。もし又何ぞ(あだ)ある人があつて火を見かけて無理に推し入れて焼死させたる時は、瓦などの上に屍があるなり。」

27、刀心覚之事

多くの刀を同じ場所に置いてあると、急なときに、人のと紛れて困るが、そういうときのために、鞘などに何か印をつけて置くのがよい。今用いられている「さくり」(刳食(さくりばみ))などはこの心得のためでもある。またそういうときには壁のきわに寄せて置くか、ほかの刀とは異なった置きようをするとよい。この心得は大事である。

28、人大勢ニ而取付たる時刀脇差心得之事

29、手負之方へ行見廻(舞)挨拶之事

30、喧嘩又ハ人ヲ切たると見聞分ニ行心得之事

夜中に喧嘩があったり、人を斬ったと聞いたりして見聞に行くときには、早く行ってはいけない。走って行くなどはもってのほかである。独りで行くと、あとで詮議のとき呼び出されるから、隣家の誰かを誘って、二人で行くのがよい。太閤様の歌に、

「喧嘩ある其場へ早く行く時は
         我が身に難をうくるものなり」

とある。

31、多勢に取り籠られたる時心得之事

取り籠もられたときは、ただ手を放して笑うのがよい。次のような話がある。旗本の長谷十郎左衛門の三男が御咎を受けて江戸を逃れ、佐渡に逃げて行くのを、町奉行所の与力牧野安右衛門という者が追手を仰せ付けられた。追われる方は、その土地の者を語らって、島のようなところの(やしろ)のうちに取籠ってしまった。こういう捕者(とりもの)は一番むつかしい。牧野安右衛門はこれをみて、手をたたき、大いに笑ったという。先に語られた所の者たちはそれで気分がくつろぎ、追手のかかる理由を聞く予猶(ママ)ができた。そうなればお上の御用というので、加勢はしなくなる。牧野は追手の役目を果たすことができたという。

32、馬上ニ而追掛もの心得之事

33、歩行ニ而追掛討取る事

34、士放討被仰付時心得之事

放討(はなしうち)とは刑具を用いずに一定のところに拘置しておかれた者(放囚人(はなしめしうど))を討ちとることである。放討を主君から命ぜられたとき、うかつにお請けしてはいけない。その理由は、後見といって、もう一人に命ぜられることがあり、あとでむつかしいことが起こり勝ちであるからである。必ず一人に仰せ付けられるよう主君に押し返しても願うべきである。是非とも両人にということであれば、この御役はほかの人に仰せ付けられたいと願うがよい。そうすれば、其方一人に申し付け、もう一人は其方が致し兼ねたときに助太刀するように申し付けようということになる。その場での功名争いは厳禁という上意を受けてから出かけるがよい。そうであないと、心が功名争いの方にそれて、打ち損ずることがある。

35、寝間ニ刀脇指持鎗置様之事

(須保孫右衛門角長・注)
爰で云う「置き様」とは、刀架などへの懸け方を云っとるのかどうか知らないが、武士は寝る時、是は記憶が定かでは無いのだが、左半身を下にして寝るものであり、布団の下に指料を置いておくものだと云う話も有る。

左半身を下にするのは、心臓を上にせず、一刀の元に心臓に敵刃が達しない様にとの配慮であったか、或いは利き手の自由云々を気にしての事であったか・・。
無論、こうした心懸けは、所謂「心有る武士」がした事であって、誰も渠もが心懸けた事ではあるまい。

36、敵をねらふ心得之事

主人や親の敵を狙うのに、飛道具ででも討った方が名誉である。

37、敵を持たるもの心得之事

敵と狙われたものは、随分と(←段々原文其の儘臭く成ってるし。「随分と・・は、現代語では何に相当するか・・・を考えるのがめんどくさかったのか?)討たれぬようにするのが名誉である。どんなことをしても逃げるのがよい。少しも卑怯なことではない。我を立てて、逃げないでいるなどはとんでもないことで、逃げて逃げて、返り討ちにすることこそ大手柄である。

38、不知道退事

39、無鍋所ニ而湯拵様之事

(須保孫右衛門角長・注)
武家に伝わる方法と似ても似つかないかも知れないが、一応述べると、直火さえあれば、竹などに水を入れて沸かす事が出来る。
また、樹皮や葉で作った容器でも、水面の高さ以上の部分が燃えない様にしさえすれば可能である。
粘土質の地面を掘った穴や、中空になった丸太の中に水を張り、中に焼けた石を落とす方法も考えられる。

40、火事火元見役人心得之事

41、早使長旅心得之事

42、塀乗様之事

43、寒中当座薬之事

(須保孫右衛門角長・注)
全く関係無いが、武士は旅をする際、例えば印籠等に、胡椒を入れて携行して居た・・・という話も有る。
これは医学的に本当の処どうなのか知らないが、下痢の時に(腹痛の時だったかな?胃酸過多だとか消化不良だとか、症状に拠って呑んでいい場合と、そうでない場合があろうが。下痢だったら、現在の医療でも腸内を酸性にして雑菌を殺し、下痢を止めるという薬が有る事から、胡椒で腸内を殺菌する効果が得られる事も考えられる。)一粒呑むと良いとか。
亦、酷暑の時一粒呑めば暑気に当らないとか、寒中、河を渡る前に呑めば、凍死しないとかもいわれる。)

44、無鍋時食拵様之事

(須保孫右衛門角長・注)
食物を入れ、加熱する為の容器としても、竹や樹皮、葉、特にバナナの葉は上等な容器になるそうだ。
焼くだけなら直火の上に吊り下げて焼く事も出来る。
蒸す場合、焚き火の下に穴を掘り、石、葉、食物と水を入れた容器(竹や葉でも)、再び葉、泥又は粘土という順番で詰めていく方法も有る。
貝や蟹、海老等の、殻を持った生物を調理する場合、容器は要らない。
今度は焚き火を使用せず、地面に穴だけ掘る。
先ず焼けた石、葉、食物、葉と詰めた段階で、上から棒を、食物の有る位置迄突き通す。其の状態で葉の上と棒の周りに泥を詰め、棒を抜いた穴に水を注ぎ込む。
時間はかかるらしいが、実に効果的だという。

45、潮ニ而食拵様之事

46、道中ニ而鎗の鞘留様之事

47、上り坂供心得之事

これは今ではあまり用はないが、心得があれば、これにこしたことはない。上り坂では主人の先に立つがよい。何か不意のことが起こったときには、主君の方には下り坂となるから、素早く近づくことができるからである。

48、下り坂心得之事

49、川供心得之事

50、雪中道路心得之事

51、大勢早弁当拵様之事

52、急に懸着たるもの不倒事

53、旅宿用心目付所之事

旅宿に着いて、先ず、湯殿などに行く通路、裏道より来る口、戸の締まりなどに心を用いることが大事である。床の掛物のかかっている下に、昔は切抜きがあったことがある。掛物の裏や天井を見、こたつの炭びつが抜けるかどうかも注意した方がよい。寝るときは寝床をしきかえて臥せるがよい。何か部屋のつくりに不審があったなら、亭主を呼び、そこを見せて、こういうところから盗人が入るということを聞いているが、そうしたことはなかったかと尋ねるがよい。たとい盗人がその家に潜んでいても、それを耳にして、忍び寄らなくなる。

54、旅ニ而我宿不忘心得之事

55、害虫ニ刺れたる時当座療治之事

(須保孫右衛門角長・注)
Biological Hazards
此の項目も本文が割愛されて居るので、どんな事が書かれているのか不明だが、知るところを少々挙げると、

「蚊」・・・予防策であるが、湿地から離れた場所に居る事。蚊帳を使う事。顔に泥を塗って寝る事。夜間は出来るだけ多くの服を着、パンツの裾はソックスの中に入れ(おいおい)、手袋を着用する事。防虫剤を塗る。抗マラリア剤を指示書通りに使用(おいおい)。

「ダニ・シラミ」・・・若し刺されたら、傷口を引っ掻いてはならない。傷口にダニやシラミの排泄物を撒き散らす事に成り、伝染病に感染する虞が有る。
これらが居ると思われる服は、煮詰めると良い。
或いは、縫い目を2〜3時間、直射日光に当て、これらを追い出す。
体はよく洗っておく。石鹸が無ければ、川の底の砂や泥を石鹸代わりに使う。

「サソリ(おいおい)」・・・服を着たりブーツを穿く時は、一度振ってから着用。若し刺されたら冷湿布をするか、泥を塗る。熱帯地方では、ココナッツの果肉を患部に当てると良い。

「蜂」・・・刺されたら血清を打つより無し。若し攻撃されたら、深い藪や下生えの中に潜り込む。小枝が後ろに撥ねて、蜂を撃退して呉れる。

「ヒル」・・・咬まれても無理矢理引き剥がしてはならない。皮膚内部に牙が残ってしまう。火の付いた煙草、マッチ、焼けたナイフ、濡れた煙草をヒルの背中にあてると自分から反ってしまう。防虫剤をかけても良い。

「蛇」・・・咬まれたら、傷口を心臓より下に持って来る。
そして傷口から心臓に近い方、5〜10cmの所を止血帯で縛る。この時、皮膚表面の血液の流れを止める様にきっちり縛るが、決して脈が止まる程締めてはならない。
次に牙の跡(穴が二つ)に、夫々に切り込みを一本入れる。切り込みの長さは12mm、深さを6mm以上にしてはならない。切り込みは夫々平行になる様に、咬み跡に入れる。
そして傷口から血液その他を吸出し、全て吐き出す事を、尠なくとも15分間續ける。
これで口中の乾きやこわばり、頭痛、咬まれた箇所の痛みや腫れが感じられなければ、毒は無いものと見て良い。
若し、以上の事をしても毒が残る様であれば、吸出しを續ける事に成る。
若し其の場にもう一人居るなら、その間に扶けを呼びに入った方が良い事、云うを俟たない。

56、追手ニ行不逢帰る心得之事

大事の追手には何人もが出かけるが、遠くに行った者が捕えることができず、かえって、近くで捕えることがある。そうしたとき、其方はどこを尋ねて行ったのかと聞かれ、それよりも近くで捕えたではないか、本当にそこまで行ったのかと詮鑿されることがある。そのために、自分の行った先に何か目印をつけて帰るようにするといい。駿府城で家康公が火事にあったとき、小姓の者が御座之間に立ちもどったことがあったが、手水鉢に石を入れて置いて、たしかに御座之間まで行ったことの証拠にしたという。

57、早着籠之事

着籠(きこみ)にはいろいろあって、皮のもあれば、鎖のもある。しかし、文銭を袷のようなものの中に並べて入れ、肩のところには二文ずつ重ねて入れるがよい。大体一貫文ほどで作ることができるが、これはまた、ほどいて、陣中の路銭にもなる。家来たちに着けさせれば、心強く思うものである。(かたき)と狙われている者は不断に着けていた方がよい。

58、取籠もの二階ニ居ル時心得之事

59、侍・下郎に不寄取籠もの心得之事

取籠の者が侍であったなら、急に入るのがよい。時がたつと何かと工夫をこらすから、捕らえにくくなる。下郎の場合は遅いほどよい。遅ければ遅いほど、命だけはを助けたい(原文ママ)と臆するものだからである。

60、同捕ニ行時言葉相違之事

捕えに行って、相手が出てきたならば、知らぬ顔して、今取り逃がした者を追いかけて来ましたが、もしやこちらに駈け込みはしませんでしたかと、ほかのことのように尋ねるがよい。また捕者(とりもの)には、声をかけて捕えるとよい。その方が、普段考えているのとは違って、かえって捕えやすいものである。
(須保孫右衛門角長・注)
昔は「捕物帳」「捕者帳」と、「物」と「者」が混乱して使われていた様である。

61、同捕ニ大勢行時心得之事

62、暗き所ニ取籠たるもの知ル法

これは、とうがらしをふすべたり、こしょう玉を投げたりして知る事が出来る。
西海子(さいかち・以下表記不能)
胡椒

鷹爪(たかのつめ)(タカノツメ・うこぎ科)
スイ(表記不能)草(めはじき・
益母(やくも)
の粉を等分に合わせ、薄い紙で包み、投げ込む。大事なのは、こうしたときには自分の鼻に
(つめ)をかうことである。

63、夜に遠方之火四方へ行を知ル事

64、不番入繩之事

人を縛ったとき、縄のあまりを足の指にくくりつけておくか、畳をかえして、裏についている取手にくくりつけて置くとよい。これを『番いらず』という。

65、風雨之時提灯心得之事

66、忍有明置様之事

これは旅宿などで用心をして、自分の寝姿を見られないための『忍び有明』で、油の容器ほどに紙を切って中に穴をあける。それに燈芯を通して火をつけて、上から蓋をするのである。明りがほしいときにはその蓋をとる。こうして蓋をしてしまっても火は消えないものである。

67、「夜中暗き所ニ籠居るを知ル事」

68、我と心安きものを人中ニ而他人強く謗りたる時挨拶之事

自分と昵懇の者を、人中で誰かがあれは腰抜けだなどと強くそしったとき、黙ってばかりもいられない。そのようなときは、悪口をいっている人に向かい、さて、其元のそしっておられる何某も、ちょうど今の貴殿の御物語りの通りに、強く自分をそしっていますと、両方ともに卑怯にならないように挨拶する。そうすれば、その者も気がついて、話を止めるものである。自分も無口でいなくともよいから、このようにしたがよい。

(須保孫右衛門角長・注)
これは、CさんがAさんの事を、Bさんの前で謗った時、
其元Cのそしっておられる何某Aも、ちょうど今の貴殿Cの御物語りの通りに、強く自分Bをそしっています。」
という事か?それとも、
「其元Cのそしっておられる何某Aも、ちょうど今の貴殿Cの御物語りの通りに、強く御自分様Cをそしっています。」
という事か?
前者では意味が通らず、後者では却って喧嘩をけしかける事になりそうだ。
後日CがAの許へ赴き、
「聞けば其の許、吾が事謗り居り候由。それは確かに身共とてもB殿が前にて其の許が事譏り候わばとて、夫れと是とは話は別。仮にも武士が己が事謗られ居り候事仄聞致し候而、聞き流しに致したとあつては世間の下墨も如何敷く候得者、斯く討ち果さんとて推参仕り候。武士が意気地也。観念致し候え。」
CはAを討ち果たすも、手傷を負って其の晩死去。
藩の詮議が入って、喧嘩両成敗なればA方もC方も、一族郎党知行召し上げ改易。
CがAを謗った時、聞き流しにすれば良いものを、却って喧嘩をけしかけたかどで、Bは切腹。Bの一族悉く閉門の沙汰が下るなど、物凄く事が大きくなってしまったりするかも。

69、盗賊来る時出合心得之事

盗人が近づくのを知ったならば、知らぬふりをしており、自分の家ならば、ここから入って、ここから出るだろうと見当をつけ、出合いのときに、逃げ道の方に出向かっているようにする。そして、何か盗らせてから捕えるようにすべきである。盗人の手がふさがっているから、捕えるのに何の手間もいらない。また盗人の方も、ここから逃げますというように、わざと目印のようなものをつけて置き、そちらの方に追いかけさせて、自分は別の方から逃げる方法も考えているから、用心しなくてはならない。

70、夜ニ入囚人連行刻提灯心得之事

両方から固め、中に囚人をならばせ、提灯はうしろからついてこさせるようにする。もし囚人が駈け抜けたとき、提灯を先に持たせてあったのでは、そこを走り抜けられると、もう見えなくなるものだからである。また、昼夜ともに、堀や崖のようなところで小便をさせない心得がいる。繩尻を持った者ごと落ちる心配があるからである。囚人は死ぬことを恐れずに逃げようとするから、よくよく心得なければならない。

(須保孫右衛門角長・注)
役人が二列縦隊で並ぶ先頭に咎人が居る時、そいつが列の進行方向の延長線上に逃げたら、最後尾の人間が明りを持っていても、どちらにせよ咎人の姿は確認出来なく成ってしまう。
併し、この様な場合、先頭の人間が明りを持っていても、咎人の姿はすぐ見えなく成ってしまう訳であるから、咎人が列を縦に後方に向かって突っ切って逃げる事を想定して最後尾の人間が明りを持って居た方が、捕らえられる確率は向上する・・・という事が云い度いのだろう。
だが本文の状況だと、二列縦隊の中央に、縦に咎人が並んでいる訳である。
先頭の咎人が先頭の役人と並んでいたとすると、最後尾の咎人は、列の中央付近に迄来ているかも知れない。
最後尾(列中央に位置する)の咎人が逃げ出す時、明りが後方にあれば前方に、明りが前方にあれば後方に駈け出せば、いずれにせよ直ぐに咎人の姿は視認出来なくなってしまう。
併し、必ずしも列中央付近の咎人が逃げ出すとは限らないから、矢張り最後尾の役人が明りを持って居るのが正しいのか。(何が言い度い!)

71、夜人を知る言葉遣之事

72、舟乗出したる時呼戻し候刻心得之事

渡し舟などが岸をはなれてから急用だからその舟をかえせなどと岸で呼ぶ侍がいても、船頭というものは聞こえないふりをしているものである。そういう舟に乗り合わせたならば、船頭に早く舟をやれといって、向こう岸に舟を早くつけさせ、自分はそこで待っている。そして次の舟で渡って来た侍に声をかけ、其許は先刻舟をかえせと船頭に仰せ聞けられたが、一旦出てしまった舟はどうしようもないので、そのままこちらに渡ってしまいました。お互いに主人用のこととて、先を急ぎますが、私はここで待って居りました。どうぞお先に御越し下さいと挨拶すれば、その侍は大いに感激するものである。この辺の心得も大事である。

(須保孫右衛門角長・注)
「私は此処で待って居りました。」
と言った矢先、
「天晴れ身共を待ち候而事の是非を改めようとは見上げた心底也。いざ。」
と鯉口を切られるか、
「どうぞ御先に御越し下さい。」
と言ったら、
「其の儘行き候得者、武家らしきと人の評判もあるものを、女々しく待ち居り候而謝罪を乞うとは見下げた心底也。」
と蔑まれる可能性も。

そもそも、「その侍は大いに感激するものである。」という前提で動くのが計算高くていやだ。
そうならず、喧嘩沙汰に成る事も覚悟して待って居ってこそ然る可きかと存ずる。

73、小柄こうかい遣様之事

戦場ニ而遣様 口伝 隠シ(とどめ)差様 口伝 目印 口伝

74、小柄遣様之事

貴人の御前に出るときは、次の間で脇指をとって、無刀でその部屋に入るものである。そのとき、小柄を紙でくるんで懐中するとよい。これは懐剣の代りになるからである。

75、こうかいの遣様之事

Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!