「三枚のお札」を詳しく 

 

 

 

ストーリー

どうも私は前頁でのストーリー説明時、頭が混乱していた様だ。
此の話にはヴァージョンが複数有る様で、私が知っているのは以下である。

@、寺の小僧が栗拾いに行きたいと和尚さんに許可を求める。
和尚さんは小僧に三枚の御札を与える。
鬼婆の家で目を覚まし、便所に入った小僧は、脱出を試みる時、鬼婆が自分に縛り付けた縄を御札に結び直し、小窓から脱出。
外で鬼婆が「小僧小僧、まだだが?」と訊くと、小僧の代わりに御札が「ま〜だま〜だ」と答える。これで御札の一枚目を使用。
小僧の逃亡に気付いた鬼婆が猛スピードで小僧を追うと、小僧は二枚目の御札を投げ、「砂山出はれ〜」と、砂山を現出。更に追い駆けてくるので、「河出はれ〜」と河を現出。これで御札を使い果たし、危うく寺の門内に迯げ込む事で、鬼婆の脅威から回避コンプリート。

A、太郎が小鳥を追って山の中に踏み入る。小鳥は鬼婆の使役する妖孽か何かだった。
鬼婆の家で目を覚まし、便所に入った小僧は、「便所の神」にこう言われる。
「とんでもない家に泊まったものだな。お前に豆を三粒やろう。豆を好きな物に変えて、婆ァの足止めをするがよい。さ、其の方の腰の縄をこの柱に縛り付け、疾く出て行くがよい。」
小窓から小僧が脱出。外で鬼婆が「小僧小僧、まだだが?」と訊くと、小僧の代わりに便所の神が「ま〜だま〜だ」と答える。随って此の時点では豆を消費していない。
小窓から小僧が脱出した事に気付いた鬼婆は、例に依って追い駆け始める。
小僧は一つ目の豆を大河に変え、二つ目を茨の林に変え、三つ目を山火事に変える。
鬼婆はサイバーダインシステムス・モデルT1000よろしく無造作に大火事の中に突入するが、思わぬ火力の強さに息絶えてしまう。

さて興味を惹かれるのはAの方だ。

神の威厳

先ず「便所の神」というのが出て来るが、この「便所の神」。神であるのに何故間接的にしか太郎を援けてあげられなかったのか。
鬼婆に対してバチをあてるとか。そもそも鬼婆が此処に棲み始めた時点で退治出来なかったものか。
西遊記にはよく「土地神」というのが出て来る。或る土地に三蔵一行が立ち寄ると、其処は妖怪が猛威を揮い、村中が混乱を来している。孫悟空は早速土地神を呼び出し、
「其の方が居乍ら斯かる体たらくとは何事か」
と叱りつける。併し土地神は、自分の力では如何とも為し得なかった旨孫悟空に告白し、謝罪する。と、こんな様な状況が便所の神にも当て嵌まるんだろうか。

もし

さあ御馴染みの妄想を展開してみよう。
便所の神から貰った三つの豆粒で何を出せるだろうか。
未来の物は勿論、想像上の物でも出せるんなら、
「スター・ウォーズ〜エピソード2〜か何かに出て来た、あの無数の戦闘ロボット出はれ〜」
何千体もの戦闘ロボットが、恰もCGの如く整然と鬼婆の前に立ちはだかる。鬼婆のパワーの前には一体一体は脆そうだが、何千体を鬼婆はどの位の時間をかければ一掃出来るだろうか。
数&戦闘力で云えば、
「スターシップ・トゥルーパースに出て来た何万体もの巨大昆虫型異星生物出はれ〜」
も面白そうだ。勿論「エイリアン数万体出はれ〜」でもいいだろう。
エイリアンと云えば、
「五百人のプレデター出はれ〜」
はどうだろうか。
戦闘力も高く、最新兵器を使い、知能も高い。出せるもんならもっと出してもいいが、ここはひとつこちらの生命を賭けても五百人で行ってみたい。
「各五百人のジェイソン&フレディ出はれ〜」
これは足止めとしては完璧ではないか。永遠に闘っているがいい。

一方で太郎存命当時の知識で発想可能、且つ効果的な豆の活用法はと考えると、「毒には毒を以って」の譬えで、妖怪を相手に出したらどうだろうか。
天狗辺りが最強かも知れないが、「色んな妖怪」と指定して一反木綿、塗り壁、砂掛け婆あ等を出して「妖怪大戦争」といきたいものだ。幽霊でもいい。鬼婆vs幽霊。どうやって幽霊を仆すか見物である。

最も効率的なのは、天照大神とかスサノオノミコト等の日本最高神関係を出してしまう事だろう。
併し、便所を任されている程度の神の呉れた豆っ粒くらいで、一々最高神が依頼に應じて呉れるかどうかは疑問だ。
其処で妖怪退治専門の神を出してはどうか。

西遊記の日本語訳は、慥か江戸期が最初だったと思うが、太郎の時代が江戸期だったと無理矢理信じ込んで話を進めると、
「混元一気上方大乙金仙斉天大聖孫悟空出はれ〜」
でもいいかも知れない。
「や〜!!」
と甲高い声をさせて、上空から如意金箍棒を大上段に振りかざして落下して来る孫悟空。着地寸前、鬼婆の脳天目掛けて振り下ろされた如意金箍棒。ヒットするかと思われた瞬間、鬼婆は何とか身を躱したので、振り下ろされた十万八千欣の棒の先端は大地を直撃、大地に巨大な裂け目を生じる。
余りの衝撃力に一瞬瞠目した鬼婆も、気を取り直して出刃包丁で応戦。遣り合う事数合にして、これは敵わぬと見て取った鬼婆は黒霧と化して飛び去る。間髪入れず目出度い光と化して追う悟空。秒速30万kmの速度で鬼婆を追い越し、鬼婆の進行方向の延長線上で姿を現じ、瑞光を発し乍ら鬼婆を待ち構える。
鬼婆は前方に悟空の姿を確認するや、慌てて方向転換を図ろうとしたその瞬間、悟空は自分のニコ毛を毟り取って仙気を吹き掛け、「変われ!」と叫ぶと、ニコ毛は数千、数万の悟空と化し、空中に於いて鬼婆を完全に包囲する。
当の悟空本人は、体を揺すると数丈の大きさの八面六臂の姿に変わり、憤怒の形相で鬼婆を見下ろし、
「悪業たかりの外道奴、観念致せ。斉天大聖が慴伏致し呉れようぞ!」
と一喝。
鬼婆は観念して其の場にへたり込み、叩頭して悟空を伏し拝み、
「菩薩様、命ばかりは御助けを」
と哀願。
「されば命ばかりは助けつかわそう」
と言うや、悟空の分身が二体鬼婆の背に回り、鬼婆の肩甲骨に穴を開け、荒縄を通して引っ立てる。其の儘瑞光をたなびかせた悟空一行は目出度い雲に乗って天界に戻っていくのであった。
一人真夜中の荒野に残された太郎は、
「お猿の神様ぁ鬼婆のごどさ助けるっちってたけんども、はあ、どごさ連れて行ったもんだべ・・・」
と想像を膨らますのであった。

ところで

「三枚の御札」の便所の神ヴァージョンを私が何で知ったかと云うと、福島は会津田島で買った、地元の語り部CDでである。
このシリーズは何枚か出ており、それぞれ違う語り部が物語っている。
私が買ったのはその中の一枚だが、多分地元のお婆さんの吹き込んだ音源である。

さて、「トイレの神様」とかいう歌が有る。
「トイレにはとても綺麗な女神様が居て、トイレを綺麗に掃除すると、女神様の様に綺麗になれるんやて」
と云った話を、当該歌手の御婆さんがしてれた・・・と云う歌だ。
語尾に「やて」が付くところから察するに、西国の御婆さんがしてくれた話の様だ。

処が会津田島の御婆さんは、「便所には神様が居て、鬼婆から守ってくれる」と云う。先の歌の内容とは些か違ったイメージの神様像だ。
会津田島のCD製作の御婆さんにも御孫さんがあろう。
この御孫さんも、御自分の御婆さんの語る「便所の神」の姿を、声高に主張されてみては如何だろうか。

いや、或いは双方とも同じ神様の事を言っているのかも知れない。
偶々西国ではその御姿を目の当たりにした者が居て、「とても綺麗な女神様だった」と証言したが、会津田島では姿は見えず、声だけが聞こえたものを昔話に残したのかも知れない。
してみると、「トイレの女神様」も、万が一鬼婆乃至は山姥に襲われて便所に迯げ込んだ時には、豆粒を三つ呉れて助けてくれる可能性も否定出来ない事になる。

 

 

 

 

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