おばけ


 
 
まんず、はぁ
おばけは実在するんだろうか。
科学者に言わせると、おばけが実在するものとして検証する前に、実在の証拠となるべきものが無いと検証に踏み切れないと謂わんばかりである。
世には体験談やら写真やら、実在の証拠となるものが溢れている。が、科学者がそれを見たとしても、幾らでも難癖を付ける余地はあるのだろう。

併し実在を思わせる様な観測結果も無く、勿論証拠も無い存在の実在の有無を検証している例は、科学の場にも有るんではないか。

例えば、光より速いものは無いが、若しあったとしたら?
という前提で、そういう物質を探している研究者も居るのではないか。
だったら、おばけに関しても、実在するかも知れないとの前提で検証に取りかかってみてもいいのではなかろうか。

証拠が無いから検証しないのではなく、特におばけ等は実在する様に見える観測結果(おばけ写真とか)があるのだから、そういうデータを元におばけの性質を検証してみたらどうなのだろう。

で、結果的に「おばけはこういう性質の物質である。」という仮定が出来れば、「じゃあ斯様斯様の装置で検出可能なんじゃないか。」という様な試みも出来ようというもの。
(強引な論理展開)

いい加減な推測になるかも知れないが、私も爰で推測を交えながら其の性質を検証してみよう。
おばけの振舞いや見え方が斯様斯様であるから、それにはこういう原理が考えられるのではなかろうか・・・という形式での検証になるが、そもそも私の知識が断片的である上に、間違った憶え方をしているかも知れない。
どうか真面目にとらないで戴きたい。(粗探しもしないでね♪)

では、以下に例を挙げ乍ら、其処からどんな性質が推定出来るかを考えてみよう・・・というか、私の推定じゃ信頼性に大いに乏しいので、読者諸兄が勝手に推定して下さい。

ケース1
金縛りに遭うと、体の上に人間が覆い被さって来る様な感じがして、動きが取れなくなる。

実際おばけに重量があるのか。
昔或る科学者が、鼠が死ぬ前と死後の体重を測ったら、体重に差は出なかったとの事。
亦、別の測定では、死後の水分の放出やら何やらを差っ引いても計算が合わない重量の消失があったという話も。

いずれにしろ死ぬ前と後の重量差は微々たるものであろうに、人間が乗っかってきた様な重みを感じるという事は、おばけは死後に何かから(空気中から?)質量を得て(植物は空気中の炭素を自分の体に固定する。或る種の細菌は空気中の窒素を固定する。併しおばけは瞬間的にそれを行うのか?然も植物は太陽光から気体を固定化するエネルギーを得ているが、おばけは何からエネルギーを得ているのだろう?)自分の重量を変えているのだろうか。

若しくは、おばけは人間が重みを感じる様に脳に働きかけているのか。
膝から下を切断した人が、切断した足の小指が痒いと訴える事があるそうな。
足の小指から繋がっていた神経が、体内でどうかしたからそう感じるのだろう(?)が、同様に神経や脳
(脳もでっかい神経)の或る部分に何らかの刺激を加えて「重く感じ」させ、「身動きが取れない」様にしている(実際、神経に異常があって身体機能が麻痺する場合もあろう。)のだろうか。

だとすれば、おばけは脳神経学に詳しいのだろうか。
脳のどの部分に刺激を加えると、体にどういう反応が起こるのかを知悉していなくては適うまい。

或いは、我々が力学を知らなくても経験的に、たとえばシャベルを土に刺して、柄を押し下げると土が持ち上がるのを知っているのと同じ様に、おばけ自身、原理は判らぬ乍ら、無意識に脳を操作出来るのだろうか。

この章のまとめ
@、おばけは空気中の分子を体に摂り入れ、自分の質量を増やせる。
か、または、
A、脳神経系のシステムを理解している。

 
ケース2
勝手にTVが点いたり消えたり、ラジコンカーが動いたり、家具が動き、果ては皿が飛びまわる。

家具や皿を動かせるとすれば、人間を突き飛ばしたり、頚動脈を締め付けて殺す事だって出来そうだ。
が、おばけに悩まされている人が、皆この様な死に方をしないのは何故だろう。

おばけの能力差だろうか。第一おばけの能力差というものがあるのだろうか?
それとも簡単に人を殺せない理由があるのだろうか?
(簡単に人が殺せるのだったら、一寸氣に食わない事があった爲に人を殺す・・・と言う事は多かろう。すると人間の死亡率は現状程度で済むものだろうか?一説にタイタニック号は誰だかの呪いで沈んだとかいうが、心霊関係には「守護霊」という概念もある。それで考えれば何千人か何百人の乗客には、相当数の守護霊(守護天使?)が居る訳であり、とすると、一体のおばけの呪いに対して、数百、数千の守護霊は為す術を知らなかったのだろうか?)

TVやラジコンカーが動くからには、それを動かすおばけが電気や電波を出す性質を持っているからか。

電気や電波を出せる最低限の条件とは何だろう?(人間の様な生物は電気信号で動く。神経を電流が通れば、神経の周囲に電界と磁界が生じ(?)すると電磁波も発生する(?)。かどうか知らないが、尠なくとも体温がある以上赤外線くらいは出ていよう。)

物を動かす為の圧力を出せる最低限の条件とは何だろう?
皿や何かを動かすには物理的な力を加えなければならないが、そうなるとおばけに「実体が無い」訳ではなく、やっぱりおばけは何らかの粒子
(当然「物質」)で構成されているのだろうか?

電化製品が勝手に作動する原因として、偶発的にその付近に起こった規則性の無い電波なども考えられるそうである。

おばけが電波を出しているとして、それは無茶苦茶に電波を発しているのか、或いは、「こう動かそう」と意図して発しているのか。

意図して発しているとすれば、どの周波数で電波(光を含む)を発するとラジコンカーが動き、TVがON・OFFするという事を知らずしては叶わず。
するていと、是又おばけは電気や回路に就いて知っていなくてはなるまい。
そんな事を何処で憶えるのだろうか?

TVやヴィデオのリモコンは、電機屋で各メーカー対応の物が売られている。
わざわざ「各メーカー」などと断るのは、各メーカーによってリモコンの出す周波数が違うからである。
つまり、サンヨーのリモコンでパナソニックのTVは点かない様になっているのである。

「各メーカー対応」のリモコンは、使用する前に、取説に書いてあるメーカーコード表に従って、例えばソニーのTVをコントロールしたいならコード07を・・・という様にコードを入力する事で、周波数を設定しなくてはならない。

おばけはそれを自力で解読しているのだろうか。
例えばおばけによっては、日立のTVのON/OFFは出来るが、東芝のTVのON/OFFは出来ないという事も起こり得るんじゃないだろうか。

生前、子供の頃から勉強もせず、大人になっても飲む・打つ・買うの三拍子。
本など読んだ事もなかったおっさんが、死んだらいきなり、複雑な電機回路の知識を有する様になる・・・というのも興味深い。

この章のまとめ
@、おばけはTVやラジコンカーのリモコンと同じ周波数の電磁波を自由に出す事が出来、
A、電機回路に詳しい。

 
ケース3
おばけが写真に写った。或いは、カメラのファインダーを覗くと見えるが、肉眼では見えない。

夜に写真を撮ったら妙な光が写り込んでいて、誰かに「是はおばけです。」と断定されたとしよう。(誰に!)
其の場合、おばけは自分で発光している様に見える。

昼間に写真を撮ったら、宙に浮いているおっさんの顔が写った。然も、他の被写体と較べても、おっさんの顔の凹凸がつくる影の方向は、太陽の位置からして正しい方向へと落とされている。
おっさんの眉骨や鼻は、明らかに太陽と反対側の頬への光を遮っている。

つまり其処には、光を遮る「もの」が存在している様である。

其の上、髪は黒。肌はちゃんと肌色である。
という事は、おっさんの組織は太陽光を選択吸収・反射している。

物質の中の電子は、自分の動くエネルギーを得るために、光から特定の波長の色だけを選択して吸収し、残りは反射するのだそうだ。
太陽のような白色光は、全ての色の波長を含んでいる。
其の中から、例えば黄色の波長を吸収すると、反射する色は色相(
というんだったかな?)でいう対極の色の青になるという。
つまり、緑に見える物質は、赤の波長を吸収しているという事だ。

顔だけのおっさんの皮膚も髪も、それを構成している原子の中では、電子が一生懸命そうした作業をしているのだろうか。
まるで普通の「もの」の様だ。

扨、そうした「おっさん」やなんかも、ファインダーを通して見ると、亦は写真を現像してみると見えるのだが、肉眼では見えない(場合がある)のはどうしてか。

自然界で確認されている、例えば気温や湿度や距離や、何らかの大気の状態で起こるそういう現象はあるのだろうか。
あるとしたら、その自然現象と同じ様な原因で「おばけ」が見えたり見えなかったりすると仮定出来ないだろうか。

レンズを通して見た時に見える場合を考えよう。
レンズというのは、厚い方がより強力だという。
という事は、充分な厚さを持つレンズであれば、肉眼では集光出来ない程微かな光でも捉えられる(?)。とすれば、おばけが発する(或いは反射する)光が単純に弱いから肉眼で確認出来ないとも考えられないか。
併し、普通「カメラを覗く」という行為は、レンズを覗くのではなく、単なるガラスであるファインダーを覗くのであるから、この仮説は意味を成さない(?)。
或いは単なるガラスを通して見るだけでも、裸眼で見るのと見え方に違いが生じるのだろうか。

次にヴィデオに写ったとか、写真に写ったとかいうケースを考えてみる。
肉眼とそうした記録媒体とでは何が違うのかというと、素人考えで思い付くのが、「肉眼で見れば連続した映像だが、写真やヴィデオテープは断続的(
亦は一時的)な映像である。」という事である。
ヴィデオの中のヘリコプターのプロペラは、恰も逆回転している様に見える。ヴィデオテープがプロペラの回転する瞬間瞬間を断続的に記録しているからである。
ヴィデオにおばけが写るのも、是が原因か?
ヴィデオにおばけが連続して動いている様に写っているが、實はヴィデオテープの動きとほぼ同じスピードで、おばけは点滅しているのだろうか?
併し待てよ。そんなに素早く点滅しているのであれば、「滅」の時間と同じくらい「点」の時間もある訳だから、これは肉眼で見えないとおかしいか・・。

此の疑問は次項にも関連する。

この章のまとめ
おばけは光を遮ったり反射する事の出来る「物質」である。

 
ケース4
自分は何も見えないのに、隣の人間が、「あ、あそこにおばけが居る。」と言った。

何故人によって、或いは場合によって見えたり見えなかったりするんだろう。
これは先方の都合だろうか?それとも大気に、肉眼で見るのに適した状態と適さない状態とがあるんだろうか?

しかもおばけの色迄判別可能な場合もあるという。

人間は視神経から入ってきた光の波長の情報を脳で処理して色に直す。
つまり「見えている」んじゃなしに、無理やり脳内で「画像処理」させられていても、「見えた」場合との区別は付け難いという事だろう。是も亦、おばけが脳に働きかけているだけなのだろうか。

或いは唯の幻覚なんだろうか。
人間はかなりの割合で幻覚を見る人が多いのだそうだ。

瀕死の人間は能くおばけが見えるとか云う。 例えばそうした状態にある人が、 「其処に赤い服を着た人物が居る。」
と言ったとする。更に、
「怖いから其の人物が見えない様、其の人物の前に立ってくれ。」
と、近場に居る誰かに依頼する。近辺の者が言う通りにすると、ちゃんと赤い服の人物は見えなくなる。
是は例えだが、似た様な話は実際に(直截)聞いた事がある。

是は一体何を意味するのか。
幻覚だとしたら、人が前に立つと、ちゃんと幻覚の人物は其の陰に隠れるものなのだろうか。

色が見えるという事は、光源からの光が物体に当たって反射し、其の光が眼球に到達するという事だ。
光を反射し、背広の黒やらワイシャツの白やらを見せている其の人物を、何故我々は見る事が出来ないのだろう。

実際は見えないのだが、おばけが脳に働きかけているだけだとしよう。
何かの本で読んだが、人間の脳も、結局は電気信号で、つまり0か1かの二進法で判断しているという。

映像で目から情報を入力せず、脳へ直接そういう情報を流すとしたら、0と1(ON/OFFでもいい(?))の羅列を流し込むしか無い様な気がするが、そんな複雑な言語を、どうしておばけは知っているんだろう?
或いはもっと簡単に情報を流し込む方法があるのだろうか。

脳が初めて何かを認知する時、例えばリンゴという果物の名前や色や香りを、一つの対象に関する情報として脳内で纏め上げるプロセスは、全人類共通なのだろうか?
いわば「脳のプログラム言語」は、全人類統一規格なんだろうか?
でないと、おばけが人の頭の中に送り込む映像や音声データは、対象の人物によって其の送り方を変えなければならない。

これは次項にも関連する。

この章のまとめ
おばけは人間の脳の、映像や音声を処理するシステムに就いて詳しい。

 
ケース5
おばけに心の中を読まれた。

以下は二例共稲川淳二氏の咄であったと記憶するが、
@、霊能者と一緒に道を歩いていたが、其の時霊能者が言うには、
「こうした人ごみの中には、死んだ人間も紛れている事がある。例えば、それ、あの子。」
と霊能者が示したのは、道の向こう側にいる女の子であった。
その女の子は
(歩道橋を渡ってだったか?)道を渡って来て、霊能者たちを見上げて一言。
「どうしてわかったの?」

A、或る女性が金縛りに遭った。すると耳元で普通の声量で、
「どうするの?○○ちゃん。」
と声がする。この女性は○○ちゃんなどという名前ではない。
声は更に近付いて来て、息が耳にかかる程の近さに迄なった。
其の間にも、声は同じ質問を繰り返す。
身動きの出来ない女性は、声も発せないので、心の中で、
「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・・・。」
と唱えると、耳もとの声が、
「そんな事したってやめないよ。」
と言った。

コンピュータ通信の内容を傍受する方法として、コンピュータ本体から出る電磁波を捉え、解析して内容を知るという技術があるらしい。

人間の思考が電気信号であるなら、微弱ながら脳の周辺には電気信号に伴う電磁波が発生している(のかな?どうなんでしょう?)
おばけが人間の頭の周りの電磁波を見て思考を読んでいるのだとすると、おばけにとっての「可視光」というのは、人間のそれと較べて、多少也とも範囲が広いのだろう。
電子レンジや自衛隊のレーダーの周波数帯迄視認出来るのか?

電磁波が見えたところで、それを単なる「光の模様」ではなしに、人間の思考=言語として理解しなければならないが、人間の思考に伴って頭の周囲に発生する電磁波は、おばけにとっては、我々が文章を読む様に、言語として認識できるものなのだろうか?

外国人のおばけが日本人の頭の周囲の電磁波を見たら、果たして読解する事は可能だろうか?
母国語は違っても、例えば「リンゴが食べたい」などと考えた時の脳内の電気信号の動きが一緒でなければ読み取れまい。

人間に見えない周波数帯の光迄、おばけには見えるのだとすると、この事はおばけ当人が人前に現れたり、写真やヴィデオに写ったり写らなかったりする事と関係があるのかも知れない。

おばけが自分で視覚出来る光の周波数帯云々では無しに、おばけ自体を構成するものが、普通は人間の肉眼では見えないが、写真などには写る波長の光を出しているとか?
そんなのないかな?)

「葉隠」に興味深い逸話が載っている。

三の御丸にて密通仕り候者御詮議の上、男女共に御殺しなされ候。
その後、幽霊夜毎御内に顕はれ申し候。御女中衆恐ろしがり、夜に入り候へば外へも出で申さず候。
久しく斯様に候故、御前様に御知らせ仕り候に付て、御祈祷、施餓鬼など仰せ付けられ候へども相止まず候故、直茂公
(佐賀鍋島藩祖。主家にあたる龍造寺家を乗っ取った。初代藩主は子の勝茂。)へ仰せ上げられ候。公聞こし召され、
「扨々嬉しき事哉。彼者共は首を切り候ても事足らず、憎くき者共にて候。然る處、死に候ても行き處へは行かず、迷ひ廻り候て幽霊になり、苦を受け浮び申さずは嬉しき事なり。成る程久しく幽霊になりて居り候へ。」
と仰せられ候。
その夜より幽霊出で申さず候由。

成る程、何時まででも幽霊になって居るがよいわ!がっはっは。」
と豪快に笑った
(か、どうだか知らないが)直茂公の本心は知るべくもないが、其処に心理作戦的な「狙い」がある様に、私には思える。

仮に私の推測通りだったとして、「さてさて嬉しい事よ」と口で言っている本心では、「大して嬉しゅうも無いが、茲は一つ策略に引っ掛けてやろうかの。」と思っていたとすると、何故幽霊達は其の本心を・・・つまりは頭の周囲の電磁波を・・・読み取れなかったのだろう。

さんざ御女中衆をびびらせたので、「この辺で」と妥協したのか?
或いは直茂公の顔を立てたのだろうか?
車がばんばん通る道の反対側で、道のこっち側にいる人間の思考を読み取れるおばけが居る一方、現代の街の喧騒に比較すれば各段に静かであったろう城内に於いて直茂公の思考が読み取れないおばけが居るのは、単に能力差であろうか?

この章のまとめ
おばけは人間が見る事が出来る範囲の光より、広い範囲の電磁波を見る事が出来る。

 
ケース6
おばけが、死んだ時の服装で現れた。または、死んだ時と違う、普段着で現れた。

こういう二通りの目撃談があるという事は、結構好き勝手な格好で登場出来るものなのだろう。(其の上、「オーブ」などと言われる「光球」になって現れる事もあるというから、その気になれば「ガンダム」とか「サリーちゃん」の形もとれるのではなかろうか?挙句にエルヴィス・プレスリーの格好などで現れられたら、本人のおばけなのか他人なのかの判別がつかず、余計に話がややこしくなってしまう。)

どうやって衣装替えをしているのだろう?
周辺の大気から必要な分子を摂り込み、合成して服を作っているとして、化学繊維なんかも合成できるのだろうか?

だとしたらまさに「文明要らず」と言おうか、又はエネルギーを物質化するテクノロジーを有しているという意味に於いては「スタートレック」を地で行っていると言おうか・・。
しかも、「う〜んと、今日はどんな格好しようかしら♪」という服選びから始めるのか?

或いは是も、脳に直接、服を着た自分の姿の映像信号を送っているだけなのか。
それでも、「う〜んと、今日はどんな格好しようかしら♪」はなくては叶わず。

今迄の話を纏めると、
「物は動かせるので体は物質だが、姿を見せる場合には必ずしも固体にならないらしい。
(固体だとすると、皆に見えなくてはおかしい。)
となろうか。

すると、気体なのか何なのか知らないが、おばけの体は「見えないくらい体の構成単位同士の密度が小さい。」のか。

我々の体は、ギュウギュウに分子が詰め込まれているから、足を動かそうと思えば即座に信号が足に伝わって動かす事が出来る。
併し、おばけの様な希薄な体で、どうやって信号の伝達が出来るのか。
況して、そんなバランバランな状態で、よく体の部品が拡散してしまわないものだ。

 
ケース7
おばけが目の前に現れた。すると、おばけと対面している自分の背後にあった椅子やテーブルが、ガタンと音を立てた。

こう言う事である。或る部屋のドアのある壁と、窓のある壁は対面している。
自分が部屋の中央に居る時、ドア側におばけが現れ、自分を挟んで窓側の椅子やテーブルが音を立てた。

おばけが前項で言った様なバランバランの状態でやって来て、姿を現す際には実際に固体にならず、人間の脳に自分の映像を見せているだけだとすると、おばけは部屋中に拡散した状態で、何時でも何処のでも部屋の中にある物を動かす事が出来よう。

箱の中に鼠を入れて、人間がそれを上から眺め乍ら箱の内側に手を突っ込んで、箱の各面を叩いたとしたら、箱の内側のどの面にも音を立てる事が出来、あっちゃこっちゃから音をさせて鼠を驚かすのは容易い。
それと同じか。

同じだとしても、おばけが人間を「驚かそう」などという考えを持っているというのも、なんかケチ臭い。

次に、ドアの前に現れたおばけが、実際に固体化したものであるなら、もっとケチ臭い事になる。

通常、自分の体は「見えないくらい」希薄な状態であるのを、わざわざドアの前に体を凝縮して実体化したのである。
其の上で、目の前の人物の後ろ側にある物を動かすには、何らかの物理的な力を加えなければならないから、腕か触手かを伸ばして力を加えなければならない。

ところが人間側から見ると、おばけはなんのモーションも起こしていないのに、突然背後の椅子や何かが音を発するので、驚吃仰天という事になる。

考えられるのは、おばけが椅子を動かす際に伸ばした「自分の体の一部」は、御丁寧にも一度凝縮・実体化した体を解いて、目の前の人間に見えない様に、再度希薄な状態に戻しているという事だ。

何故そんな事をするのだろう?
椅子を動かしたいなら、其の儘手か足か頭か・・を伸ばせば良い。
それを何故隠す?
第一、何故椅子を鳴らさねばならないのか。



ケース8


東幹久が言っていたが、子供の頃、オッサンの顔だけが彼の居る方向に向かって来たのだそうだ。
彼は手近に有った殺虫剤のスプレー缶をとり、オッサンの顔に振りかけた。するとオッサンは顔を歪めて上空に昇っていって消えたという。

この場合、スプレー缶から噴射された「何」が効いたのだろうか。
単にスプレーガスの圧力が効いたのか。
それとも細かい粒子が、おっさんの顔を構成する粒子(?)にぶつかる(気体分子同士の衝突)のを嫌がったものだろうか。
或いは、殺虫成分を嫌がったのだろうか。

対おばけ兵器としてスプレーが有用だからとこれを携行するならば、圧力説、分子衝突説などだけに期待して、無害なスプレーを携行すべきではない。実際効果を持つのは殺虫成分であるのかも知れないからである。
となれば、矢張り携行するなら実績のある殺虫剤のスプレー缶にすべきだろう。

一般家庭用の殺虫剤のスプレーは、ピレスロイド剤が主な成分だそうである。
ピレスロイド剤は、昆虫・両生類・爬虫類に強力に作用する神経毒だそうで、哺乳類・鳥類には毒性が低い模様である。
これは何を意味するのだろうか。

ピレスロイドの様な殺虫剤ではなく、アルコールをはじめとした消毒薬ではどうなんだろうという疑問も湧く。
昨今は新型インフルエンザやノロウィルスへの警戒の需要から、様々な消毒スプレーが販売されているが、この様な抗ウィルス効果のあるスプレーでは効かないのだろうか。

或いは、整髪用のスーパーハードスプレーの様に、髪を固めてしまう様な効果のあるものはどうか。
消臭スプレーなどは、臭いの原因となる分子や細菌を固めて(纏めて)落とすというのが基本原理らしいが、おばけが気体状(?)の何らかの分子であれば、こうしたものも効かないだろうか。

〔追記〕
昔からよく魔除けに効果が有ると云われている物を考えてみると、洋の東西を問わず、「殺菌に有効なモノ」がイコール魔除けに効果有りと云われている様だ。
代表的なものを挙げると、塩、酒、等だ(後述)。
殺菌に効果が有るといえば、最近はを用いた殺菌剤が多い。
西洋では、狼男を仆すのに銀の弾丸を用いるし、ドラキュラには銀の杭だ。
となると銀も魔除けに使えそうだが、持ち運びに便利なのは銀配合の制汗剤だろう。
こいつを体に吹き付けると、暫くその周辺が粉っぽく、周辺の臭いがいつまでも消えない。と云う事は、無風であれば結構長時間空中に粒子が浮遊しているという事だろう。
銀が魔除けに使えるとすれば、この性質は体の周辺に長時間バリアを張れるというか、機雷の様に周辺をガードしてくれる筈だ。
この商品、銀イオンをくっ付けたゼオライトやアパタイトといった鉱物が噴霧されるのだが、ゼオライトもアパタイトも、それなりに消臭効果や不純物除去などにも使われ、近年ではゼオライトの放射性物質を吸着する性質が注目されている。
更に、この二つの鉱物はパワーストーン扱いもされている様で、魔除けだとか何だとかにも利用されている由である事から、鉱物と銀イオンの相乗効果も期待される処である。

因みに古来お清め乃至は魔除けに使われるモノを下に挙げる。
「塩」
神道ではお清めに使う。浸透圧によって細菌の細胞から水分を奪ってしまう。
「酒」
これも神道で使うか。塩と共に地鎮祭、葬式の後に使う。「清めの酒」。
アルコールは殺菌に使う。
「ニンニク」
O−157、コレラ菌、サルモネラ菌、MRSAに対して効果が有るとの報告あり。
西洋では台所に吊るして妖精が悪戯するのを防ぎ、ドラキュラに対するクリプトナイトとなる。
「生姜」
寿司を食う時にガリとして食って殺菌作用に期待する。
風水ではこれに宝剣などを刺して魔除けに使う。
「桃」
桃の葉には何らかの薬理作用があり、あせもや炎症に効くとされる。
それと関係があるかどうか、中国では桃の木に魔除け効果があるとされ、桃の木剣などを魔除けに使ったりする。
「唐辛子」
防虫や殺菌効果があると云われる。中国では唐辛子を模した作り物を魔除けに使う。
除虫目的の殺虫剤スプレーがおばけに効果的であるなら、唐辛子成分の防犯スプレーも効果があるのではないか?
     

 


ケース9
廃墟となった病院で肝試しがてらヴィデオ撮影をしていたら、用務員態の小父さんが出てきて、「何しに来たの?」というので、慌てて「あ、はい。すみません・・。」と答えながら俯いて、もう一度頭を上げると、其処にはもう既に小父さんの姿が無かった。
ヴィデオには小父さんの姿こそ映っていないものの、其の声は録音されていた。

これは「本当にあった呪いのビデオ」というシリーズに入っていた、視聴者投稿ヴィデオである。

ヴィデオでは、「怖いから帰ろう。」と皆で帰りかけた時に、先頭の人物が「あ、やばい。」と、小父さんの出現を匂わす。
其の時カメラは下を向いていて、行く手に何が起こっているのかは判らない。
「何しに来たの?」と小父さんの声がし、それに応えて少年の狼狽した声が、「あ、はい。すいません。」という。
次の瞬間、「あれ?」「え?」と素っ頓狂な声を皆が発して、小父さんが掻き消えた事が判る。
事態に気付いて「ううううわああ〜・・!」と皆が駆け出してヴィデオは終わる。

ヴィデオに小父さんが写っていない以上、本物である証拠は無い。
真実が「偽物」だったとしたら、どんなに本当の様な出来事に見えても、「偽物」以上の何物でもない。それで話が終わるだけだ。

併し是が本当の話だったとしたら、小父さんは我々に色々な事を教えて呉れるのではないか。

@、姿は見えないが、常に(誰かが来たり)周邊の状況に気を配っている。
という事は、常に小父さんの思考のシステムは稼動している訳である。
目に見えない位希薄な、「脳の様な」演算装置。「目の様な」監視システム。

A、希薄な体が「実体化」といえる迄凝縮する時のエネルギーは如何程か。それが半端な量のエネルギーではないとしたら、そんなエネルギーをどっから貰ってるのか。

B、ヴィデオに録音された声。
耳で聞けて、ヴィデオにも録音される・・という事は、空気を振動させて鼓膜を響かせ、マイクに反応させている。それには声帯という器官以外に、舌や口腔の形状も一定の条件を備えていなくてはならない。空気を押し出す力も、肺やら横隔膜やらを構成したり取り巻いている筋肉程度の力が必要であろう。
或いは、コンピューターとアンプとスピーカーと、電力によって人声に近い空気の振動を起こせる様に、何か他の方法で発声しているのかも知れない。
その動力源は何か。

又、実際に空気を振動させている訳ではなく、人間の耳に聞こえたのは、小父さんが脳に直接信号を送り込んだもので、ヴィデオに録音されたのは、ヴィデオの磁気テープ乃至はデジタルテープに直接信号を送り込んだものであるとしたら、先にも書いた様に、脳が処理するタイプの電気信号を直接送信しなければならないのは無論の事、同時にヴィデオの種類がアナログかデジタルかを判断して信号を送り込まねばならない。
それは矢張り考え難いので、通常の音声の如く、空気の振動によるものだとの見方が自然ではないだろうか。

更に、ヴィデオではこれで終いだが、其の後の調査で、この小父さんは結核で亡くなった方だという事が判明しているので、例えば後日談として、撮影に関わった誰かが其の後結核を発症した等という事があったとしよう。
実際そんな話は無いが、取上げている問題が問題だけに、そういう事があったとしても、「まさかそんな」と疑いを抱く事無く聞き流してしまって終わりそうな話だとも考えられないか。

そして若しそんな事実があったとしたら、是も亦興味深い話である。
小父さんの出現と撮影者の結核に因果関係を認めたとしたら、小父さんはそれ迄結核菌を周邊にばら撒く事無く、保菌していたものと考えられる。矢張り菌である以上、胞子の形で保存していたのだろうか。
それとも、菌の形で保菌していたとしたら、では其の菌は、どうやって何十年も生き延びたのか。何十年の裡に、菌は何世代も世代交代したのだろうか。何故それらは周囲にばら撒かれなかったのか。

それとも、空気中に微量に存在する(かどうか知らないが)結核菌を、小父さんは目敏く見つけ、然もそれを増殖させ、撮影者に感染させる能力を身につけたのだろうか。

小父さんが普段姿を見せないのは、肉眼で見えない様な形態をとっているからとみるのが妥当かと思うが、それは尠なくとも、細胞以上の大きさで待機していないと、結核菌の胞子なり菌なりを保管し得まい。

「細胞以上の大きさ」が、小父さんの常の状態なのか、必要に応じて其の大きさをとっているのか。      

謎・1
最初に書いた様に、鼠が生きている時と死んだ後の体重差を比較する検証がなされたが、其の結果体重に差が生じなかったので、
「おばけは物質でもエネルギーでもない。」
という事が言われ出したのだという。
(この検証が行われたのは、慥か1900年代初頭であった。あやふやな記憶で御免為さい。すると単純に天秤かなんかで量ったのだろうから、アバウトな結果しか出ないんじゃなかろうか?)

さて、例えば60年前に死んだ人のおばけが現れたとしよう。
別に三時間前に亡くなった人でもよい。
こうしたおばけが現れるのは、私のうろ憶えの知識で考えると、なんかヘンな気がする。

地球の自転速度は忘れたが(自分で調べて下さい。)、赤道付近では音速を大きく上回る様な、かなりなスピード(てきとー)である。
その地球は、秒速およそ30kmで太陽の周りを公転している。
その太陽は、秒速およそ220kmで銀河を周回する。
更に銀河は秒速およそ100kmでアンドロメダ星雲に接近している。
ビッグバンの勢いなんかもあるとすると、また違う方向への力も加わっているんだろうから、話は更に複雑である。
(注・ビッグバンの勢いと書いたが、ビッグバンと云うのはどっか一点から「物質」を四方八方に飛ばす(Aという物質を例に採ると、Aはビッグバンの勢いで一定方向に飛ばされ、Bはまた違う方向に永久に進行方向を決められる)という様なものではないらしい。言ってる私も能く解らん)

地球がそんなえらいスピードで、然も複雑な動きをしているのに、人間が抛り出されないのは言う迄も無く、重力と慣性が働く為である。

さて、こっからがよくわからないのだが、質量の無いものにも慣性は働くのだろうか?(物理専攻の大学生曰く、質量の無い物には慣性は働かないのだそうだ)

おばけが物質でもエネルギーでも無いとしたら、質量もあるまい。
人間が死んでおばけになった途端に、周辺の天体の動きから取り残されてしまうという事は無いのだろうか?

況して、おばけと地球の双方に重力が働かないとすれば、猶更おばけは地球にへばり付いていなくてもよくなる訳だ。

であるとしたら、三時間前に亡くなった人のおばけは、三時間後の今、とんでもない遠方に飛び去ってしまっている(例えば日本の○県○市○町123-4に在る家の、茶の間の中心という一点を考えてみると、此の一点はビッグバンの勢いで宇宙の中心から外側に向かって移動していながら、地球の自転に由る回転運動もしながら、太陽の周りを公転しながら、銀河中心を周回しながら、アンドロメダ星雲の方向に移動している。茶の間の中心の辿った軌道を線でなぞったら、一体どんな線が浮かび上がるだろう。とてもではないが、三時間前に居た座標・・・宇宙空間内の一点・・・を割り出すのは簡単な仕事ではなさそうだ。)事にはならないか?

ニュートリノ(中性微子)という素粒子がある(これもどんなもんだか失念。)が、こいつははじめ質量を持たないと思われていたらしい。
それ程質量が小さいという事なのだろう(?)
で、こいつは地球くらいの天体なら素通り出来るらしい。
「地球を素通り出来る性質」と「質量の多寡」に因果関係があるかどうか知らないが、おばけが質量を全く持たないのであれば、地球を素通りするくらいは、これを聞くとありそうな気がする。

が、現におばけは我々の住む天体の運動にくっ付いて来ている。
地球の重力圏から逃れられないのだろうか?

 
謎・2
例えば別の恒星系の、地球に似た環境の惑星に一人きりで調査に赴いたとする。
夜になって、宇宙船の窓から真っ暗な風景を見たら、やっぱり薄気味悪いだろう。

その調査員は、「おばけが出そうだ。」と思ったとしよう。
しかし、その惑星には生命が存在した徴候が全くみられなかった。
生命が存在していなければ、当然死んだ者もいないわけであるから、おばけも出ない筈である。
だが万一現れたら・・・との危惧があればこそ恐ろしいのだ。

「万一」現れたとしたら、どういう状況で現れたのか。例えば地球生物のおばけが、其処迄追ってくるという事は考えられないだろうか?

生まれも育ちも東京のAさんがハワイに行って、海に入ろうとしたら、東京で死にかけているAさんの御爺さんの生霊が出てきて、「海は危険だからよせ。」といった。
慌ててAさんはホテルに戻り、東京の実家に電話してみると、御爺さんは今まさに亡くなったところだった。

という様な話は有り勝ちである。
という事は、おばけは長距離間であっても物凄いスピードで短時間で移動できるか、または移動時間に距離は関係無いかである。

おばけに「宇宙戦艦ヤマト」ばりの、空間を捻じ曲げるワープ能力があるなら、十光年先の惑星だろうが二十光年先の衛星だろうがすぐなのだろう。
(だが、どうやって目標の天体の座標を割り出すのだろう?)

もし、「ヤマト」ばりのワープ能力を持たず、唯単に「超スピード」で移動するとしたら、目的の天体に行く前に、先にも触れた様に、地球の重力圏からの脱出という難関が俟っている。(重力は無限に遠方に届くと言うから、重力圏という表現はおかしいかも?)

宇宙ロケットが月にでも行こうとする時、あれだけのロケット燃料を消費して尚、真っ直ぐに上昇しても、其の儘月へは行けず、落下してしまうという。ある程度上昇したら、一度地球の周回軌道上をグルッと回って、遠心力を利用して重力圏を抜ける。
(抜けるというか、一定の高度以上に上がると表現すべきか??)

だがロケットがそうしなければならないのは、質量が大きいからであるかも知れない。私は詳しく分からない。
宇宙ロケットが地球の重力圏からの脱出に難渋する一方、単位単位がもっと小さな物は容易に大気圏の外迄上昇出来る様だ。例えば地球の水の分子は、年間、25mプール一杯分宇宙空間に逃げている。
(かわりに宇宙からも、隕石や氷塊などの形で年間ほぼ同じくらいの水が供給されているという。逆にマントル層からの供給もあるとか。)
太陽から受けたエネルギーは、赤外線として地球から宇宙空間に放出されている。

水の分子や赤外線が宇宙空間に放出されるなら、おばけも宇宙空間に出られるのかも知れない。(地球の重力を振り切っても、太陽の重力の影響は受けないのかな?太陽に落ちてゆくなんて事もあったりして?この辺り、「宇宙速度」で検索してみると、また視点が変わるかも?)

ということであれば、件の惑星で、一人きりの調査員がおばけの影に怯えるのも故無しとしない。

さて、これを逆に考えると、他の天体のおばけが地球に来訪する可能性も出てくる。

確かに心霊写真などに訳のわからないものが写り込んでいる場合もある。が、霊能者がそういった写真を分析してみると、必ずと言っていい程、「狐だ」とか「人間の霊が姿を変えたものだ」とか、少し気の利いたものでも「龍だ」などという判定になっている。

「地球外生物のおばけだ」という判定が為される事は皆無だといってよいのではなかろうか。

それとも、他の天体のおばけが、仮に秒速30万kmの速度でブッ飛ばして来ても、未だに地球に到達出来ない距離から向かっているだけなのだろうか。

尤も、広い宇宙空間の中で、何億光年、何十億光年の彼方からやって来るおばけが、偶然に地球に接触する確率は低いだろうけれど。

 
謎・3
部下の大学時代の先生で、「自分は霊能力があって、幽霊を自在に操れる。」と豪語する人物が居たという。

また、TVに出ていた霊能者が、「水場などは霊が好む」とか言っていた。
(「おばけは物質でもエネルギーでもない」という様な話を聞くが、質量を持たない、物質でもないものが、「水場」等と云う環境に干渉出来るんだろうか。他にも「ジメジメした所が好き」「薄汚くしているとおばけが寄って来る」等とも云うが、これ等も同様である。
逆に、そうした神秘的な存在を表現する時、「純粋なエネルギーの様な存在」だと表現する事が有るが、「純粋なエネルギー」とはどんなエネルギーだろう。どんな状態のエネルギーなのだろう。「純粋なエネルギーだ」と言っている人は、「エネルギー」という言葉を、まさか我々とは別の定義で使っている可能性は無いか。参考
エネルギーが見える霊能者というのは、例えば運動している物体の「運動エネルギー」が見えたり、置いてある物体の「位置エネルギー」が見えたりするのだろうか。
「霊はエネルギーです」と言った霊能者が、「運動エネルギーや熱エネルギーは見えません」と言ったとしたら、「他の状態のエネルギーは見えないのに、どうして霊がエネルギーだと判断されたのですか?」と訊いてみたいものだ。)


霊能者が、おばけの好む場所を知っているのは観察結果からだろうか。
それとも、おばけに直接訊いたんだろうか。

大学教授がおばけを操り、霊能者がおばけに質問できるなら、私がこれ迄書いてきた様な事を、質問としてぶつけてみてもよいのではないか。
人間がそうである様に、おばけもまた大多数がそうした知識を持ち合わせているとは限らないが、中に博識のおばけが居て、自分達を構成する物質は何か。どの様な装置ならそれを検知出来るのか。どうやって体を維持し、動かしているのか。移動能力はどの程度か。人間から見えない様にする「擬態」はどういうシステムで起こせるのか。あの世というものがあるなら、それは何処に在って、其処迄の移動手段はどうしているのか。其処には時間の概念というものがあるのかないのか・・・等などを知る者がいるかも知れない。

 
 
謎・4
よく、タクシー運転手が車を走らせていると、前方に女の客が手を挙げているので、停まって乗せ、再び車を走らせて暫くすると客が掻き消えていたとか、消えているならまだしも、ルームミラーで後部座席を確認したら客の姿が写っていないのに気付いてしまったなどという事がある様だが、こうなってしまうと最悪である。
後部座席の客は、こちらがその正体に気付いた事を知らずに澄まして乗っているんだから、これは怕い。

そうした際、いっそ大声で賛美歌を歌ってみてはどうだろうか?

カトリックの悪魔祓いを扱った本などを見ると、悪魔は聖画や聖遺物(聖人の遺物)、聖水、十字架、賛美歌などを嫌がるそうである。

先にも書いた様に、おばけは電気機器の構造に詳しそうだから、カーオーディオなどで賛美歌をかけても、電源をオフされてしまう可能性が有る。
だから大声で歌う。

おばけを追い払う爲に、素人が密教の真言などを唱えると、おばけは却って怒るそうである。
其処ぃいくと、賛美歌は神を称える歌であるので、こちらも別段攻撃している訳ではないとの言い訳が立つ。
キリスト教的な見地で言えば、聖歌や賛美歌の中の歌詞は、それ自体聖なる力を持つものの様である。
加えて、こちらが歌う賛美歌を聞きつけた神が、救いの手を差し延べて呉れるかも知れないから、一石二鳥ではなかろうか。

二、三人が同乗していれば猶の事よかろう。
皆でパートを分けて歌うもよし。縦令同じパートであっても、みんなで歌えば賑やかでよろしい。

「日本人のおばけに賛美歌が効くかい!」
との御意見もあろう。
また悪魔祓い本に戻るが、是に依ると「カトリック悪魔祓い典礼書」の言葉は、悪魔の体を傷付けるそうである。
したれば賛美歌の効力も似たり寄ったりで、歌詞が持つであろう聖なる力(?)によっておばけの体を傷付けると仮定した處で、さのみ無理はあるまい。

こうした言葉なり歌なりが外国のおばけの体を傷付けるのであれば、同じ事をしても日本のおばけの体にだけは何事も無いというのも考え難い。

よく「霊能者によって言う事が違う」等と言う指摘があるが、この様に宗教から運命論から占星術から、何から何迄言う事は違うけれど、全て本当の事であるという前提で考えていくと、全部の話を無理矢理関連付けて考えていかねばならなくなる。

そう成って来ると、あの宗教は嘘で、この宗教はホント。などという判断は、新興宗教やら出鱈目な出自がはっきりしている宗教の場合を除いて、簡単には出来まい。
其の上、出鱈目な出自がはっきりしていても、其の後に其の宗教から奇跡が起こったなどと言われれば(奇跡が嘘だと証明しない限りは)、何らかの効果有りとして、これも一緒くたに考え合わさねばならなくなろう。

例えば、豪壮な宮殿に夜毎現れては、嘗ての栄華を思い起こして咽び泣くマリー・アントワネットに、道士が北斗を踏んで呪文を唱えながら、桃の木剣を突き刺しても効く筈である。

夜中に居間を通りかかったミヒャエルが、居間のピアノをえらい勢いで弾いているベートーベンを見て恐怖にかられても、祈念すれば斉天大聖(孫悟空)が現れ、「妖怪(やおくゎい)!」と一喝、如意棒をベートーベンの頭に叩きつけて肉塊にしてしまうかも知れない。

併し、ケース2で書いた「タイタニック呪い沈没説」の様な場合を考える時、守護霊という概念を無視して考えれば話は簡単だが、守護霊を併せ考えると、話の辻褄を合わせるのに苦労する様になる。
其処ぃもってきて、「沈没したのは運命だった」などと運命論まで考えはじめると、果たして呪いで沈没したのか、運命で沈没したのか訳がわからなくなる。

タイタニックのこの説は、一人の人間が何かを船内に持ち込んだ爲に呪いを受けたのだという。
じゃ、其の一人の爲に、全員が巻き添えを食ったのか。
それこそ各人の守護霊が黙っちゃいまいと思うのだが、如何なものだろうか?

 
謎・5
TVを見て居たら、何やら霊現象が頻繁に起きる店屋が在るらしく、霊能者に頼んで観て貰って居た。

店内を一通り観た霊能者曰く、
「見なさい。此の室内にはドライフラワーだとか、○○
(何と表現していたか失念したが、例えば編み笠とか蓑の様な、葦とか葭だか麦藁みたいな物で作られた製品の事を指して。)ばっかりじゃないの!是は皆死んだ物でしょう?こう云う物ばかり飾っていると、自然に霊が寄って来るのよ!生花みたいに生きた物を飾り為さい!」

TVに映って居た室内の様子では、所謂「死んだ物」が、例えば壁一面を覆い尽くして居るとか云う程飾ってあった訳では無い。
極普通の域を出ない程度の量と記憶している。
其の程度の量で、そんなに激しく、いかにも切迫した状況であるかの様に怒られてしまうのであれば、では荒物屋は大丈夫なんだろうか?
そういうものなのであれば、材木屋だって、炭屋だって、魚屋だって危険だと云う事に成る。
ガソリンスタンド、灯油屋等、石油系の商品を扱う店も例外では無い。
石油と云うのは嘗ての生物の死骸である。
すると、石油コンビナート、大量に燃料を積んで飛ぶ旅客機等も、おばけの溜まり場に成ってしまうのか!?
亦、石油から製造される製品は多い。
プラスティック然り、ペットボトル然り、ポリ袋然り、ラップ然り、アクリル・ポリエスター等の合成繊維然り(?)・・・。
それ等を扱う業種の殆ど全てが、おばけの溜まり場に成る危険性を孕んで居る・・・否、問題の物件に飾ってある程度の「死んだ物」の量で既に甚大な被害を蒙って居る訳であるから、況してや是等の業態を持つ企業は、恐らくもっと激しいおばけの攻撃に、既に晒されて居ると考えるべきだろう!?

建物の建材に木や石油系の材料が使われていても、エライ事だ。
中に居る人間は、夫れ等の「死骸」に囲まれてしまうからだ。
そもそも「死骸」と云う物を、おばけはどう定義しているのだろう?
プラスティックや紙迄「死骸」だと云うのなら、特定の生物が死んだ時点で躰を構成していた分子乃至は原子迄が、死にまつわる「呪われた物質」なのだろうか?
或る生物が死んだ時に「死骸」に残って居たミネラルの元素は、御手元のマルチミネラルサプルメントの錠剤に含まれて居るかも知れない。
同様に、嘗て「死骸」を構成していた水の分子は、雨と成って貴方の頭に降り注いで居るだろうし、今飲んで居る「おいしい水」のペットボトルの中に入っているだろう。
更には貴方の家の駐車スペースを固めるコンクリートの中にも、コンクリートを固定する分子として、ガッチリ結合して居る筈だ。
是はまずい!

去り乍ら、実際にそういった現象が多発すると云う報告は余り耳にしない。
爰に挙げた原料を扱う、日本の・・いや世界の全ての企業にそうした現象が発生するとしたら、我々の耳にも当り前の日常茶飯事として伝わって居ておかしくない筈であるが・・。

石油化学製品の様に、元の生物の原型を留めない程加工してしまうと、夫れは最早、おばけにとって「死んだ物」では無くなってしまうからだろうか?

若し霊能者に此の質問をぶつけたら、こんな風に答えるだろうか?
「おばけも人間と同じ様に意識を持った存在です。物の見掛けに拠って印象の持ち方を変えてしまうのも人間同様です。随って大量のプラスティック製品よりも、少量のドライフラワーに引き寄せられるのです。」
と。
だとしたら、ドライフラワーの横に、
「何もドライフラワーだけが『死んだ物』ではありません。家具屋や乾物屋の方が、『死んだ物』が沢山御座居ます。」
と注意書きをして置いたらどうだろうか?
人間だって、言われなければ見掛けに騙された儘に終ってしまうが、一言の説明で「目から鱗」と云う事も御座候得ば。

 
謎・6
或る実話(らしき物)が有る。
其の儘此処に紹介して祟られても嫌なので、事件の顛末はおおまかに紹介するに留めるが、先ずはこんな話だという事を知って置いて戴き度い。

Aという人が居て、Bという人を嫌っていた。
Aという人の背後霊は、嘗て神道の神を祀っていた巫女だか呪術師であった。
で、Aという人の意思とは無関係に、この背後霊は、勝手にBを呪詛し始めた。
呪われたBは、不可思議な事が起るので霊能者に頼った。其の霊能者の分析した結果が、上記の詳細である。
さて、霊能者は扶けてあげたいのは山々だが、何分相手の霊は呪詛のプロであり、容易に呪詛を跳ね返す事が出来ない。
其処で、被害者Bに、不動明王真言を唱える様にアドヴァイスする。
併しBは、不動明王真言を覚える間も無く寝入り込んでしまう。寝入ってしまうとまた霊に襲われた。
已む無くBは、「不動明王に吩い付けるぞ」と相手を恫喝する。すると其の場は何とか遁れる事が出来たという。
ところで霊能者にも背後霊が居り、其の背後霊の中の一人に僧侶が居た。
僧侶は、兎に角Bを、さる神社へ行かせたがっていた。
そんな折、奇しくもBは仕事の都合で件の神社へ向かう事とは成る。
件の神社は空気(?)が清浄であり、其の空気を家に持ち帰った爲に、爾後悪霊は寄り付かなくなったという。
そして其の神社と云うのが、件の巫女の祀っていた神を主神としていた神社だったというオチもある。

さあ疑問が幾つか生じる。
@巫女だったとしたら、なにゆえ神に仕える身で呪詛を行うか。

A呪術師だったとしたら、何ゆえ神道の神など祀るのか。

B上では触れなかったが、どうやら件の巫女は、当該神を祀っていたが爲に、其の呪力とも云うべきものをパワフルに操れたといった様な表現がある。されば、呪詛に力を貸す様な神である。其の神を祀った神社の空気が清浄であり、結局の処、其の空気が悪霊退散に貢献するとは、そも如何なる理屈であろうか。

C普通の人間が呪詛などを行うのは、遠隔状態で相手に被害を与えたいからであろう。では其の時、彼我(被害者と加害者)の間にはどんな力が働いているのだろうか。
其の力は何なのか知らないが、生身(細胞)の儘の状態とは違う何かが体から出て行って、先方で作用するのであろう。では其の「何か」とは、おばけの体を構成する「何か」とは違うものなのだろうか。
仮に「おばけの体」も「呪詛を伝える物質」も同じものだとしたら、何ゆえわざわざ「おばけ」が呪詛などという行為に及ぶのだろうか。
人間は普通の状態で、其の「ワケの分からない呪い媒介物質」を出す事が出来ないから、わざわざ呪詛の儀式の手順を踏むのであろう。併し、自分(おばけ)の体が其の儘そうした物質なんであれば、相手の身体に不調を生じさせる事も、事故に巻き込ませる事も、儀式の手順を踏む事無く出来そうな気がするのだが。
亦、人間が呪詛をするのは、「直接手を下すのはヤバいから」であろう。併しおばけの身と成ってみれば、「直接手を下した」処で何ら不都合は無かろうと思われるのだが、一体何故「遠隔」状態での攻撃に拘るのだろうか。
それともおばけの世界にも警官の様な悪行を取り締まる存在が居て、それらの目を憚っての事だろうか。
併し、おばけに攻撃を受けたという(尠くとも私の知る限りの)報告例では、どうもおばけが直接手を下しに来たと思われるケースが殆どである処から見て、今回の様な「おばけが呪術を使う」ケースの方が異例である様に思われるのであるが、では大半のおばけが「警官をも畏れぬ豪傑」なのであって、呪詛を使う巫女の方が、未だ以って正常な「神経(に相当するもの)」の持ち主だとでもいうのか。

D相手が呪術を使うから霊能者では歯が立たない。したれば、
「自分は念力のみで護摩木に着火する事が出来た。これは弘法大師から数えて二人目である。」
と豪語する密教界の大山倍達とも云うべき桐山靖雄氏(現・阿含宗)にでも頼んでみたらどうだったのだろうか。
桐山氏の嘗ての著書に拠れば、
「密教を修行する者は、術を如何に磨くかに腐心する者が多く、これは宜しからざる事である。」
のだそうだが、ならば「術」を得意とする密教僧。「術合戦」は御手のものかと思われる。其の密教界に於いて最強を自負する桐山氏ならば、よも間違いはあるまいと思われるのだが
。(桐山氏に就いては、無断リンクですがコチラに詳しく糾弾されてます。)

E不動明王は大日如来の化身であるという。ならば不動明王に吩い付ける前に、大日如来に吩い付けた方が早いと思うのは素人の浅はかさだろうか。
私は仏教の世界観に就いて詳しくはないのでアレだが、仏教を創めたのが釈迦。だから釈迦を一番上に持って来ようてんで、釈迦を仏つまり「如来」という最高の位に置いたんじゃないかと思うが、さてこっからが推測。「如来が一人じゃ何だろう」というんで薬師如来やら阿弥陀如来やら大日如来を後付けで作ったんじゃないかと思われる。更に「如来」の下の位に「菩薩」を置き、更に下に「明王」を作る。
こう考えると、大日如来も不動明王も人間の作ったものであって、何も本当のおばけが怕がる様な存在では無いのではないかと思うのだが。
それとも、そうではなく、仏教以前に在った原始宗教の神を仏教が取り入れたのもが「不動明王」であり「大日如来」なのか?
不動明王は実在して居り、それを原始宗教が崇め奉って居ただけなのだとすれば、尠くとも不動明王は釈迦より以前に存在して居り、「如来」の釈迦より修行が進んでいる筈であるが。
(釈迦は、生前に何度も転生して修行を繰り返して居たのだと仏教は説明しているらしいが。)

F霊能者の背後霊であった僧侶は当然仏門であった筈。それが何ゆえBを救うに神社を指定したのか。
「神社の空気が清浄であったから」が理由なのだろうが、では仏教寺院の空気で、当該神社に勝る「清浄な」空気を有する場所は無いと判断したものか。
僧侶たる身でそう判断したとすれば、是は興味深い。
生前は仏道が至高のものであると信じて修行をして来たが、鬼籍に入ってからの認識では、実質的に仏教の教えでは神道の清浄さに敵わぬと判断した訳であるから、熱烈な仏教信者は此の事をどう判断するだろうか。

G清浄というのは「塵も雑菌も無い状態」の事だろうか。

 
 
 
謎・7


嘗てTVによく出ていた霊能者が色々言っていた。
「除霊をする時は、霊を体内に取り込んで消滅させてしまう。」

消滅したのが分かるのだろうか。
例えば喰いモンは体内に入って、血になり肉になり・・・分子の構造が変わる(よく分からんが)だけだ。
固体は液体になり、気体になり、プラズマ状になるということもあるだろうが、いずれにせよ消滅(と云うか拡散か) するのは熱になる分位か?
そういう事なんだろうか?そういう性質が変わる事を便宜上「消滅」と言っているのか?
文字通り「消滅」させているなら、粒子一つも残さず消滅させて居るんだろうけれど、霊が何で構成されているか知らんが、その粒子の一つ一つの有る無しまで体内の事がわかるのだろうか。

消滅させるなら、お化けの体を構成している物質を、光のエネルギーだとか運動エネルギーだとか、何かの形態に変えてしまわねばならないだろう。仮に熱エネルギーにして完全に消滅させているとすれば恐ろしい。例えば、1ミリグラムの物質が完全に熱になるとすると、そのエネルギーは液体水素と液体酸素化合物(ロケット燃料か?)20トンに匹敵すると言う。

或るサイトを参考にして考えてみると、おばけの体を1g。ほんの1gを体内で完全消滅させたら、其のエネルギーは約90、000、000、000、000J。カロリーの単位に直せば21510000000kcal。石油の通常燃焼で考えると、実に2000tの石油が燃えたのと同じ程度のエネルギーが発生するという。
一瞬でそれだけのエネルギーが解放されたら大爆発だ。

併し霊能者の体が大爆発を起こしたりしない処から、恐らく「消滅」というのは「おばけとしての性質を維持出来ない程度に、おばけの体を構成する最小単位を分解してしまう」という程度の意味であろうか。

 
 
謎・8
おばけが実在するなら、この広大な宇宙空間の中で我々地球生物だけが唯一の生命体であるとは考え難い様に、他の天体の文明にもおばけは居るのではないだろうか。

そうだとすると、他の天体の生命体も、死んでおばけになったら、あの世に行くのだろう。

併し、擬死体験をした者の中に、三途の川の向こう側に、「体長1メートル前後、巨大な頭部と目を持ち、銀色の皮膚をした生物」を見た者が居ないのは何故だろう。

そうした場合に三途の川の対岸に現れるおばけは、擬死体験者の身内である場合が多いからである。と、超常現象研究家は説明するかも知れない。

併し、必ずしも身内が出迎えに来なかったケースがあったとしたらどうだろう。
対岸には、誰が出迎えに来るかわからない。

我々の住む銀河系には、太陽の様な恒星が数千億個あるという。
宇宙全体では、そうした銀河が、更に数千億個あるのだそうな。

太陽系に於ける地球の様な、生命体が発生可能な天体を持つ恒星系が、我々の銀河内の全ての恒星系の中の、例えば100個に1個あったとしよう。
仮に銀河内の恒星の数が二千億個だったとすると、実に二十億個もの恒星系に生命が存在する計算になる。
(但し、銀河中心部の様に、恒星が異常に密集している環境で生命体が存在出来るかどうか・・・という点に関しては考慮していない。)
宇宙全体では推して知るべしである。
(ガス状星雲等を差っ引いて。)

それらの生命体が、各々に違った環境に適応して進化し、個々の種の外観がどれひとつとっても同じではないとすると、その外観の種類は一体何種になる事か。
それらが一様に、「あの世」に殺到する訳だ。

そう考えると、三途の川の対岸に出迎えに来た者が、偶々「体長1メートル前後、巨大な頭部と目を持ち、銀色の皮膚をした生物」である確率は、物凄く低くなってしまうだろうから、擬死体験者がそいつらに御目にかからないのも蓋し当然か。

となれば、逆に人間型の生物が出迎えに来る確率も同様に低いものとなろうものを、然るに擬死体験者を出迎えるのは必ずヒューマノイドであるのは何故だろうか。

と、いう訳で、話が段々脱線してきたので、この辺で止めておこう。

 

と思ったが、追加
真偽の入り混じるこういう話を全て信じ、まともに考えてみた時、Aという事例ではこんな性質が推測出来るが、Bという事例では全くAの推測とは反対の性質を示す・・・という様に、矛盾が生じてしまう・・・という様なコンセプト。或いは、よしそれが互いに矛盾した結果を齎さないなら、それこそこういう現象の原因を解明する何かの糸口にでもなれば・・・というコンセプトで書き始めたのだが、単なる個人的な疑問の羅列になってしまった。

が、最後に。

科学者の大半・・というか、メディアに出てくる科学者の大半が、おばけは存在しないと主張する根拠は何だろうか。

上で見てきた様に、一口に「おばけの引き起こす現象」と言っても、それらは(時には想像もしなかった様な。或いは、現象同士で互いに矛盾する性質を示したり。)様々な形となって起こるので、単純に「根拠はこれ」とは言えず、様々な現象のいちいちに反論がある事だろう。

おばけの体は、それを構成する(おばけとしての性質を最小限保証するだけの機能を備えた)最小単位同士が、かなり希薄な状態で空間中に拡散しているのではないかと上で述べたが、これは必ずしも新しい着想とも言えないんじゃないかと思う。
ただ漠然と、おばけを「気体の様な」とイメージするのは、是迄にも一般的にされていた事ではなかろうか。(私が思ってるだけか?)

この、「気体の様な」というイメージにも、反論する科学者は多いかも知れない。
当然である。気体であるかの様に振舞っていたものが、一変、固体の様な性質を見せたり・・・という事も、無論論拠にはなるだろう。

併し、その前に、「気体の様なものが意思を持って行動する」という点に疑問を抱くのが順序であろう。
離れた構成単位同士の間で、情報の伝達をするのは不可能なんだろうか?

そんな性質を持った生物は、我々の周りを見回しても存在しない。故にそういう生物が「居る」とは言えない。
だが、「居ない」「存在し得ない」という証拠を提示出来ない限り、存在の否定も出来ない筈である。

この問題を考証出来るのは、物理学者だろうか?生化学者だろうか?分子生物学者だろうか?
他分野の専門家を差し置いて、例えば物理学者が行う、生化学的な内容を含むこうした問題に対しての反論には、一体どれ程の信頼性を認めたらいいのだろう。

或いは、既知の(細胞がギッチリ詰まった)生物に関する知識しか持たない生物学者が、「離れた構成単位同士の間で、情報の伝達をする生物は存在し得ない」と言えるのだろうか。

恐らく、様々な分野の専門家が共同で研究しなければ、答えに近付く事は出来ないんじゃないだろうか。

自然科学は実験によって理論を立証しなければならないという。
ではこの問題をどう実験によって明らかにすればよいのか。

素人の浅はかな考えで恐縮だが、現在は無理であろうが例えば、遠い未来にテクノロジーが高度に発達したとして、「細胞そっくり」の外観や機能を持つ極小のロボットを作り(現在でもナノテクノロジーを使って、量子コンピューターなる極小のコンピューターを作る研究もされているという。そうした技術を応用出来ないか?)、神経細胞の様な働きをする様にプログラムしておく。
「細胞ロボ」の出せるエネルギーは、生体のそれと同じ程度しか出せない。
そいつら同士を既存の生物の様に密着させた状態で置かず、徐々に距離を置いて情報の伝達が何処迄可能か実験する。

殆ど煙か水蒸気程度迄互いに距離を置いて、生物の様に細胞間での情報の伝達が可能であれば、そうした生物の存在の可能性は各段に上がるのではないか。

上手くいけば、「細胞ロボ」をおばけと同じ様に振舞わせ、おばけの機能をシミュレイト出来るかも知れない。更には、空気中に放っておばけを見つける。捕獲するなどの仕事をさせられたりして。

と簡単に書いたが、それを実現させるのには諸問題が山積になろうと思われる。
おばけと同じ動きをさせようとしたら、空気中にそいつらを浮遊でもさせなければなるまい。
空気中を舞う菌が居るのだから、それは不可能ではないとして、何処から細胞の機能を保つだけのエネルギーを得るのか。
思考錯誤してその問題を解決したとしても、それがおばけのエネルギー獲得機構と同じだと言えるか。

普通、細胞が互いに密着した状態でないと情報の伝達が出来ないものなのだとしたら、距離を隔てて情報の遣り取りをする爲には、発生させるエネルギーの出力アップの爲に細胞内の代謝のシステムをいじくるとか、なにがしかの進化が必要かと思われるが、おばけが自然の進化でそういった機能を身に付けたとしたら、そうなった理由は細胞の環境への適応力であったり、自然の放射線からの被爆による突然変異であったりするであろう。

一見細胞ロボの動きは、おばけの動きと似ているかも知れないが、細胞ロボがそういった(そんな様な)機能を身に付ける事が出来た経緯は、本物のおばけの細胞が進化した経緯とは似ても似つかない経緯を辿っているのだろうし、実際、細胞ロボが変身したり、物を動かしたり、ウィジャー盤で人情味のある話をしたりする事が出来ないならば、おばけと同じ進化の過程を辿ったとは明らかに言えない訳である。(出来たとしても、その根本の原理が同じだと、どうして言えよう。)

其の前に、おばけを構成する最小単位が「細胞」であるという仮定が間違っているかも知れない。

何らかの分子の集合体の状態で浮遊しているのかも知れないし、原子以下の状態(なんて事が実際あるのか?直ぐに他の原子と結合してしまうんじゃなかったっけ??空気中のネオンなんてのは、あれは原子の状態で浮んでるんだったかな?)で浮遊しているのかも知れない。

果たして其の状態(分子や原子以下の状態)で、互いに信号の遣り取りが出来て、且つ随意に行動出来るのか。
電子や光子で情報の交換をするんだとか、こじつけの説明が可能かも知れないし、粒子同士がどのくらい離れていては無理だとか、色々反論可能かも知れないが、そうして考えてみることから始めてみない事には、こうした未知の問題は解決していかないんじゃないかと思うのは、素人の浅はかさであろうか・・?

「おばけ」の番外編はコチラ

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