東北武家関係写真館

 
秋田編
 
角館武家屋敷、上級武士青柳家に展示されている大小と裃。

画像サイズを小さくした為に、刀の装飾や前面の説明書きはおろか、裃の紋迄判別不能となっている。

従って、秋田角館のどの位の身分の武士が、どんな持ち物を持っていたか等の、当然湧き上がる疑問に答え得るコンテンツになっていない。

   
同じく青柳家の展示物。

これも誰やらはっきりしない。

因みに青柳家自体が何千石の家柄なのかも資料を捨ててしまったために、これもはっきりしない。

 
角館の城下図かと思われる。

画を小さくする前から、何が書いてあるか判別不能だった。
 
これは分かり易い、小柄である。

刃の状態も分からない。

正に素人が、ただ写真を載せているだけ状態。
 
鍔である。

こういう物は細工が命であろうに・・・以下同文。
 
中級武士岩橋家の入り口。

江戸末期建造だが、現今の日本家屋とさして変わらない。

向かって左手の窓には硝子も入っているし、室内奥には電球も光っておるではないかい!
 
慥か岩橋家の厠。

便器内にもさもさと草が。
わざとか?
 
以下三つ、門の比較。
どれが誰ん家か分からなくなってしまったが、門構えで何石級の武士の家か判別が付くものらしい。
しかし幕府直参の家等の資料と見比べても、安易に比較は出来ないかも。
 
この三つのなかで見ると、正面入り口の脇に小さい入り口が二つ。
上はひとつ。
下は正面入り口だけ。
と、いうことで、ここん家が一番格が高いか?
 
門の脇に表札が付いているが、当たり前ではないらしい。
武家屋敷はいちいち表札など付けなかったらしい。

という事は、時代劇で武家屋敷に表札が付いているのは嘘か?
因みに「奉行所」等という表札も付けないものだったらしい。
 
武家屋敷資料館の刀。
河原田家か、佐竹家のものか。
 
これは〜・・・。
う〜んと、石黒家だったか青柳家だったか・・・。
 
角館武家屋敷街のメインst .

分かりづらいがかなり広い。

340年前からこの道幅だった。


以上「角館」。
以下、秋田は秋田でも「横手」

秋田・佐竹藩の、横手に在る(在った)支城、其の名も其の儘「横手城」。
と言っても、其の昔は「朝倉城」と云った。
と言っても、史実では平城であり、写真の如き建造物抔は存在しなかった。
であるからして、写真は二の丸跡に建つ、単なる天守閣様式の郷土資料館。



同城跡に建ててある、「小野寺氏顕彰」。
元々朝倉城は、其の昔、小野寺氏の居城であった。
(昔って、室町とか其の頃だと思ったが・・)


是は幕末水戸藩関係の話であるが、恐らく全国何処も彼処も似たり寄ったりであろうと思うので書く。

武家屋敷という物は、敷地は藩から貰えるが、家は銘々で建てるものであるという。(上の命令で「あすこへ引っ越せ」という事になれば、中古住宅に引っ越さなければならないが。亦、「屋敷を拝領」なんて話も聞いた様な気がするが、これは江戸表の話か?)
武士が始終窮乏していた事は御承知の事と思うが、それだけにそうそう改築やら修繕等といった金のかかる事は出来ない為、何代も前に建てた家に代々修繕もせずに棲む事になる。
結果、煙突も無い所でへっついの火をガンガン焚くから家の中は煤だらけ。畳も替えられないからボロボロ。障子は継ぎはぎだらけといった惨状を呈する。茅葺き屋根だったりしたら、茅を交換出来ないから「屋根が腐る」なんて事もあっただろう。
更に、立派な家の門になると、門の左右に長屋が付いていて、其処に家来等を住まわせるが、当の主人の住む母屋の方が長い年月の間に遉がに朽ち果ててしまい、家来も置いておけないから空いている門の長屋の方に主人が住んでいたりする。

武士は其の禄高に依り、「家来を何人持て」等の規定が有るが、実際に夫れをやってしまうと生活が成り立たなくなる。平士等は使用人も雇えない。
武家屋敷の敷地はだだっ広い。三百坪とか、大身にもなれば二千坪の敷地を有していたりする。
処がそんな敷地を全て管理出来る程の人数の使用人は雇えない。
結果、草ぼうぼうで大木の茂るに任せた、化け物屋敷の様になってしまう。
家に依っては、裏庭に森だとか小さい山等が在ったというが、其処に狐が出るだとか、裏庭の森には、気味悪くて家人も近付かなかった等と云うエピソードも出て来る始末。

何かやらかして家が御取り潰しになれば、当然其の家は無人となるが、直ぐに行政が家を潰してさら地にする等と云う配慮はされないだろうから、そういう廃墟が増える。
幕末の水戸藩等は、勤皇・佐幕のいざこざで処分された者が多かったから、そういう化け物屋敷がゴロゴロしていたという。
私が子供の頃、まあ昭和初期か大正頃に建てたんであろう木造住宅の廃墟が結構在ったものだ。中途半端に近代化されたそうした建物も、廃墟となればかなり不気味なものがあったが、江戸時代では猶更であったろう。

この秋田編に載っけた武家屋敷群は、其の殆どが現在も住居として機能しているから綺麗なもんだが、或いはそうした「化け物屋敷」が、現存する武家屋敷の数倍存在したのかも知れない。