東北武家関係写真館 |
岩手編 |
岩手県奥州市水沢区の内田家旧宅。其の薬医門。 ちょっと北方に行けば、直ぐに水沢城址が在る。(水沢城主は伊達と親戚の留守氏) ここいら辺は「水沢藩」なのかと思ったら、どうも違うらしく、飽く迄伊達藩領内であって、其の北辺鎮護の城下町に過ぎない様だ。 岩手県だからといって、必ずしも嘗て「陸中」の地であったとは限らんという好例であろう。 |
〔補足〕 似た様なケースで、同じく仙台藩領内に白石城というのがあるが、こちらは幕府から「例外」として認められた、正式な「城」である。 此の疑問はネット検索で解決したが、検索を掛ける際、「一国一城(スペース)留守氏」というキーワードで検索したら、何と日本語の検索結果は殆ど無く、中国語の物ばかりがヒットした。 |
板の間(台所)から下の間、茶の間、向こうに次座敷が見える。 内田家初代は16世紀後半に留守家に召抱えられた足軽奉行。 現在の屋敷は、慶応二年(1866)留守家中大番役内田勘之丞の屋敷。 併し嘉永六年(1853)に修理された証拠の棟札が出て来ているので、夫れ以前から在ったものだろう。 |
次座敷の垂れ壁(?)長押(?)に有る「槍掛け」。 江戸幕府は、千石以上の士の家に就いては「長押(なげし)」の使用を認めたが、夫れ以下の家では使用を禁じていたと云う。 |
下の間から板の間を見ると、東北らしく蓑やらお面やらが掛かっている。演出だろうけど。 此の家に最後に住んだ人は外科医だそうで、ここんちを引き払って東京に出られたそうである。 其の後水沢市が譲り受けて江戸時代風に復元し、市指定の文化財に指定したのだとか。 |
下の間から板の間を見る。手前は愚息。 囲炉裏があっていい風情だ。ちゃんと炭も燃えていた。真夏だと云うのに。 ここんちの弘化四年(1847)の時点での俸禄は九十六石二升、九十六石でも家中では二番目の高禄取りだったというから、矢張り大藩との格差は大きい。 が、家は立派なもんである。現代人から見ると遉がに広い。母屋全体で約五十三坪ある。 |
同じ通りの、ほぼ斜向かいに建つ、後藤新平旧宅。 慶応二年(1866)「水沢家中家並覚牒」に「奥小姓頭、後藤左伝治」宅とある。 建築は18世紀中頃。 |
式台玄関に立つ愚息。 後藤新平さんというのは、どうもお医者さんで名を成した人らしい。高野長英は此の人の大叔父。 役職なんというのは大抵世襲制だろうから、此の人も幕末奥小姓の役に就いていた。 |
変わってこちらは北上市の珍しい藩境が残る史跡。「南部藩」と「伊達藩」との藩境の塚。 手前につっ差してあるのが南部藩領内の印。向こうのが伊達藩領内の印。 |
藩境の説明。 拡大画像はコチラ。 |
調子に乗って、まるで近世武家と関係の無い奥州市江刺区の「えさし藤原の郷」。 中庭(?)から政庁を望む。 此処で「陰陽師」やら「義経」やらを撮影したらしい。 |
上から見ました。 結局これは何なんだ?藤原京の再現でもなかろうし、奥州藤原氏の政治の場の再現? 無料パンフレットに依ると、 この時代の事は能く分からん・・。 |
しょうがないのでまた上から見ました。 ほんっとに田舎です。田舎の真ん中によくぞ斯様な物を造りました。それだけに景観は素晴らしいものがあります。 |
しょうがないのでまた上から見てみました。 併しホントに何なんだろうな、この建物群は。 奥州藤原氏関係書籍をチロっとあたってみたが、藤原家初代某が此処「江刺」に居た。とあるが、其の後は平泉に移っている。 |
政庁から出ると大路ってのがあります。昔の大通りなんでしょうが、恐らく時代設定は平安で、貴族の居住区の再現でしょうから、近世以降の町並みとは似ても似つかぬ光景だろうとはいえ、歩いてみると、例えば武家屋敷街なんかを歩いたら、さぞやこんな感じなんではないかといった妄想を抱かせる雰囲気。 自動車なんか走ってなかった頃の街とはこんなもんではないかといった風情。 |
しょうがないので反対側から見てみました。 |
大路の隣に伽羅御所というのがあり、其処から無量光院という建造物を眺めました。 |
経清館。 藤原経清の館を想定して再現したらしい。何だそりゃ。 建物内部に小さく義経と其の奥方らしいのが写っている。 |
「藤原の郷」の隣にある城址公園。 何城だか知らんが、近世の城らしい。其処の二の丸跡に建つ物見台から城下(?)を一望。 二の丸付近は家臣の住居が在ったらしいが、今では全くそんな面影は無く、単なる山ん中の公園。 此処に藤原さんも住んでたらしい。 |
常々東北は城跡やら武家屋敷やらの復元・保存に積極的だなと思ってたが、岩手も却々やる。 とまあ、そんな事はどうでも良いのだが、岩手弁である。 さて、「遠野ふるさと村」やら、其処へ向かう途中の道の駅やらには婆さんが多い。ここいら辺りになると、先の姉ちゃん達より数段訛りがハードになる。 そして気付いたが、岩手弁、といっても私は県南地域しか廻っていないし、CDも民話で有名な「遠野」限定のものだから、いずれも県南の訛りなんだろうが、非常に山形弁に似ている。 今度は秋田寄り、青森寄りの方言に近いものが聞ける事を期待して、岩手でももう鳥渡北方に行ってみたいものである。 |