隙間商法 

検索してもちょっとしか引っ掛からないワード集 

検索かけると「ウチくらいでしか引っ掛からない」と云った様な状況を目指して。
と云うか、引っ掛からないと云う事は、それだけ興味を持ってる人が尠いと云う事か。つまり検索して来る可能性も低いという事か。
 

検索ワード其の一
「土地の言葉で語る山形の昔話」 

西部警察の課長(部長?)役のおじさん(もはや御爺さんだが)庄司永建が語る、山形の民話集。山形県内を庄内、最上、村山、置賜地方に分け、夫々の地域の民話を集録してある。
と云っても、内容自体は能く耳にする類いのものであって、単に夫れが山形弁になっただけと云った感じ。
定価は2500円だが、余りに売れなかったのか1280円で販売されていた。

山形の道の駅(高速で云えばパーキングの様な所)で買ったが、どうやらこれは東京で作られた物らしい。
会津田島の道の駅等では、自分トコの地域で製作した様な「方言民話CD」を売っているが、そうした事は出来なかったものか。と申すも・・・。

買った当初私は気付かなんだのだが(私は北関東人なので当たり前だが)、例えば庄内の民話は庄内弁で、置賜の民話は置賜弁で語ると云う手法が採られているものらしい。
それを知ったのはト或る掲示板での当該CDに関する評価カキコを見ての事であるが、夫れに拠れば、
「各地方の方言で語り分けると言うので期待して買ったが、庄司永建は庄内出身であるのでどうしても庄内弁が入るし、アクセントが入るので迚も満足のいく代物ではなかった」
との事である。
恐らく是を書いた方は山形出身なのだろう。

関東人一般から見れば東北弁なんぞ、味噌も糞も一緒だろう。山形出身の妻を持つ私は或る程度山形以外の東北弁と山形弁の特徴を聞き分けるが、それでも出羽山形弁はみな同じに聞こえる。今回のCD購入で僅かに単語単位での相違には気付いたが、さりとて発音の違いに至っては全く解らん。
併し現地の方が「出来が悪いCD」と言うのを聞いた以上、どうしても先の「会津田島CD]の様な県内でも地方単位での方言の使い分けをした「民話CD]を求めてしまうのは人情だろう。

具体的に各地方での言葉の違いがどう表現されているかだが、
@、普通物語冒頭で「むか〜す(昔)、あったけど(あったとさ)」という処、村山地方のものだけは「むか〜す、あったけずまな」と言うとか、「〜しねえ」等の言葉の語尾に「〜しねえずまホレ」等と付ける。

他地域のものは「今夜一晩泊めて下さい」と云うのを、「泊めてけらっしぇえ」と言うのに対し、置賜地方のものは「泊めておごやい」と言う。
又、他地域は「食わねえ」は「食わねえ」なのに対し、置賜のものは「かね」と言う。

といった類いである。
但し妻に拠れば、「けらっしぇえ」か「おごやい」かは、人に依って違うのであり、地域に依って違うのではないという。


A、山形では昔語の最後、意味不明な言葉を必ず付けるものらしいが、此のCDに収録されているものを挙げると、
「庄内」・・・・とっぴんからりんこ、ねえけど
「最上」・・・・とんび(どんび)すかんこ、ねえけど
「村山」・・・・どんびんさんすけホラの貝、ぼほーん、ぼほんて。
        どんびんからりん、すっからりん。
「置賜」・・・・どーびん、とん。
        とーびんさんすけホラの貝、猿のまなぐ(まなこか?)さ毛が生えた。

私の妻の出身地は「置賜」地方に属するが、「河童の屁」だとか「キン●マ」だとか云った単語が入る言い回しが物語末尾に付くケースがあると云う。 

 
 

検索ワード其の二
「八卦キーホルダー」 

何年前になろうか。横浜中華街には、今(2005.2現在)程綺麗な店ばかりでなく、昔ながらの(汚いという意味ではないが)、それこそ「掘り出し物」が有りそうな店が結構在ったもんである。
甚だしいのは、建物と建物の間の空間を利用して(だった様に記憶しているが)、歩道に雑貨を陳列・販売している御婆ちゃんが居た。
(2009年追記※中華街HPに拠ると、歩道だとかに出店しない様に、住民に御触れを出した由である。世界一安全なチャイナタウンとして評判を落とさない様に懸命なのだろう。続々移住して来る中国人達のマナーの無さに中華街の華僑達も対処に苦しんでいる様だから、ほっとくと変な場所で妙な物迄売られ兼ねないので、ルールを厳しくしとこうといった處か。)

其処で買ったのが八卦キーホルダーである。
購入価格は880円位だったろうか。当時は中華街の雑貨屋なら比較的容易に入手出来たものと思うが、価格設定としては高い方だった様な気がする。

で、こいつを今ネットで探そうとしても不可能な状態に陥っている。
否、探せば有るんだが、それもクリスタルだとか純金で出来たのばかりで、何千円も何万円もしたりするやつばかりである。例えばこんなの

それだけの話だが、あの御婆ちゃんは健在だろうか。
(2009年追記※現在、安い八卦キーホルダーも、検索すれば出て来る様になった)
 

 
 

検索ワード其の三
「英雄大戦」 

柘植久慶・著、「英雄大戦」というSF歴史IF小説に就いての感想といったものは、余りネット上には見付からない。
無い事はないのだが、見付けた限りで言うと、
「期待していたより面白くなかった」「セリフがワンパターン」
等は有った。

柘植氏はこの「英雄大戦」シリーズの前に、「逆撃」シリーズというものを書いていた。
内容は、御厨という男がタイムスリップして、歴史上有名な合戦に参謀として参戦し、史実では敗者となった側を勝ちに導き、歴史を変えてやろう・・・というものだった。
そして次の「英雄大戦」シリーズでは、三日月兄弟という二人の男が、例えば「織田信長とチンギス・ハンを戦わせたらどうなるだろう?」という興味が湧いたとしたら、不思議なチェス盤(信長とチンギス・ハンの駒を対峙させると実際に戦闘が始まる)を使ってその戦いを現実化させ、それを兄弟が二手に分かれて各陣営で間近に見てやろう・・・という趣旨の小説である。

「信長vsチンギス・ハン」というテーマを見たならば誰しも、彼等が互いに己の戦術センスを活かした闘いをしたならば一体どんな闘いになるのか?という興味を抱くだろう。これを見事に裏切るのがこの作品だ。上記の感想の「思っていたより」という箇所は、まさにこの点に掛かっているのだと思う。

では、どう裏切るのか。
三日月兄弟が闘いの場に行くのは、飽く迄「どんな闘いになるのかが見たい」からである。処が彼らは各陣営に到着するや否や、持参したノートパソコンやらヴィデオカメラを見せびらかして「私は魔術師だ」という触れ込みで、これまた「逆撃」シリーズよろしく軍首脳部へ入り込もうとする。
挙句は「地面に油を撒け」だとか、「投石器はこう使え」だとか口を出し始め、何の事は無い、「信長vsチンギス・ハン」ではなく、「三日月兄vs弟」の戦術合戦になってしまうのだ。
然も、闘いが終息に近付くと、彼らは脱出の算段をする為、兄弟で持参したパソコンを用いてメールの遣り取りをするが、プロバイダーは其の時代機能しているという設定か?
究めつけは、戦い終わって家に帰った後、
「いやあ、あの時の兄貴の戦法には参ったよ。あれさえ無ければ勝てたのに」
みたいな会話をする事自体がおかしいだろうが。
相手の戦法が大将たる信長やチンギス・ハンから出たものではなく、兄弟から出たものだと決め付け(全然信長らの存在を無視)、しかも全く自分が全軍を指揮していたかの様な口振り(実際そうだからおかしいのだが)。
これが上述の「逆撃」シリーズなら、軍首脳部で自説を主張して軍を勝ちに導くのが本来の小説の趣旨だからいいのだが、「英雄大戦」でこれをやったら設定が滅茶苦茶だ。

其の所為かどうか、「英雄大戦」シリーズは四冊か五冊でプッツリ止まってしまっていて、いっかな次作が発行されない状態である。

(参考)英雄大戦
    逆撃 大坂夏の陣

 
 

検索ワード其の四
「上杉謙信 遺体 蝋詰め」 

歴史系HPを立ち上げておいて何だが、私は戦国期に疎くて甚だ記憶があやふやで申し訳無いのだが、慥か上杉謙信は没後其の遺体を蝋詰めにされて会津やら米沢やらを連れまわされた様な話があったんではなかったか。
「ミイラにした」と云うなら知らず、「蝋詰め」にしたんなら、若しかして遺体は原型を留めていたりしないだろうか。

初め遺体は米沢城内にあったものを、或る時点で上杉家廟所の方へ移された。其の砌は恐れ多くて早桶の中身を確認しようなぞというバチ当たりは居なかったろうが、近・現代になってから確認した者は居ないのだろうか。

私がこないだ廟所へ行った時、何代目かの藩主の墓の修復をやっていた。墓は木製である為、時折修復が必要なんだろう。
謙信公の墓も、同様のメンテナンスは必要だろう。そんな際に、事の序でに中身を確認してやろうなんという莫迦も居るまいが、堂々と遺体を学術的に調査しようという人は居ないのか。写真の一枚位無いのか。

 
 

検索ワード其の五
「福沢諭吉 屍蝋化」 

これも似た様な話だが、福沢家の墓を移動しようと掘り返したら、中から屍蝋化した諭吉の遺体が、生きた儘の様な状態で出て来たという話である。

これを二、三年前に検索した時は、一件位(内容が頓珍漢な検索結果なら多数有ったが)しかヒットしなかったもんだが、先日検索してみたら、結構ネットにも流布しているらしく、数件のヒットが有った。
併しいずれも元ネタは一緒らしく、「火葬されたそうだ」と人伝ての表現の域を出ていない。

遺体が出た時、「何故完璧に近い形で残っていたものか」という検証が為されたらしいが、其の際写真の一枚も撮らなかったものか。
まあ撮っていたにしろ、それをネットに乗っけなきゃならんいわれは無いのも確かだが。




検索ワード其の六
Yahoo!音声検索 

以前のヤフーの音声検索では、ネット上の音声ファイルを片っ端から探し出して、「ファイル名.拡張子」の検索結果表示だったから、個人がアップロードしたファイル迄が検索対象だった。
だが、今はそれが出来ない。
音声検索をすると、個人がアップロードした様なファイルは除外されている様で、曲ファイルを販売しているサイトがネット上に乗っけてるファイルだけを検索して来て、要は、
「この曲が欲しいんなら、このサイトに行けば買えますよ」
といった情報を表示するだけになってしまった。

例えば以前なら、ジャッキーチェンの映画「プロジェクトA」の主題歌ってどんなんだったかな?と思ってヤフーで音声検索をかけると、個人がアップしたwma,rmファイルは勿論、個人が作ったmidi音源迄検索に引っ掛かったもんだが、今はそうはいかず、以前検索に引っ掛かったwmaファイルなどは見付からなくなってしまった。

此の件に就いてネットで検索すると、ニュースというかトピックスというか、
「ヤフーがこの程、音声検索をもっと便利にした。以前から音声検索は出来たが、更にグレードアップした現在では、曲名の他に、何処のサイトに行けば買えるかといった情報まで提供される様になった!」
みたいな、まるで物凄く便利になりました風な論調の記事ばかりがHITしてしまう。

誰か否定的な見解を記事にせんもんだろうか。
或いは記事にしてんだけど、そういう記事はHITしない様に操作されてんだろうか?


 
 

検索ワード其の七
「塩 清め 方法」 

神社で「清め用の塩」というのを何気無く買った。
買った時は「盛塩でもすればいいか」程度の気持ちだったんだが、これも何気無くネットで「盛塩」を検索してみたら、どうも盛塩を「していい」というサイトと「迂闊にするな」というサイトが有る。
では「清めの方法」ではどうかと検索してみたが、恠し気な霊感商法サイトの主催者が勝手に創った様な胡乱臭い方法しか見当たらない。

其処で実際に購入した神社に訊いてみた。因みに世界中から参拝客(観光客?)が訪れる由緒正しい神社である。夫れに拠れば、

*神様に捧げて祈り、それを下げて料理などに使う。
*家を建てた記念日に、塩で祓う。借家であれば年に一回玄関を祓う。
*嫌なことが起きたときに、塩で祓う。
自分の身であれば左・右・左と塩を振りかける。
例えば車をぶつけてしまったときは、よく祈りながらその部分を左・右・左と祓う。
祓い方は、小皿に少々塩を用意し一つまみ程度を三回。
*客を迎えるとき、玄関口に盛り塩をして祓えとする。
祓えに使用した場合は料理などには使わず、川や海に流すこと。

だそうである。

 
 

検索ワード其の八
「長谷寺 お守り 指輪」 

2005年頃だろうか、鎌倉の長谷寺で指輪型のお守りを購入した。

指輪型のお守りと云うのは、他にも真言宗の寺院で見掛けた事があるのだが、デザインは独鈷杵(どっこしょ)と云う密教法具の図柄だったので、検索をすれば、
「煩悩を打ち破る智慧の象徴」
等と、容易に図柄の意味を知る事が出来る。

然り乍ら、鎌倉長谷寺で購入した指輪のデザインは篆書体なのか何なのか、見た事も無い様な漢字風の文字の羅列のデザインなので、一体何が書いてあるのか検索の仕様が無い。
「陣」「杜」「筋」に似た字が書かれてあるが、似ているというだけで全く別の字なので、
「長谷寺 指輪 杜 筋」
等と検索をかけても、全くトンチンカンな検索結果しか返って来ない。
そりゃ買った時には何がしかの説明文を読んで買ったのだと思うのだが、今となっては指輪のデザインの持つ意味が全く分からなくなってしまった。

長谷寺のサイトにアクセスすると、「授け物」か何かと云うページが有り、長谷寺で販売しているお守りが紹介されているのだが、肝心の指輪守りが載っていない。
もう売っていないのか?
長谷寺サイトには「お問い合わせフォーム」だとか「問い合わせはコチラ」と云ったメールアドレスすら書いて無いので、問い合わせの仕様も無い。わざわざ電話で訊くのも此の時代こっ恥ずかしい。

因みに同寺では「阿弥陀如来お守り」と云うのも購入した。(お守りばっかり買っている)
これは、新しく造った阿弥陀如来像の光背(仏の背後の光)を彫った時の切り屑を守り袋に入れた物なのだそうだが、慥か其の時の説明文(プラス私の勝手な思い込みか?)には、

「阿弥陀如来像を新しく造った。其の時の切り屑だから、仏といつも一緒に居られる様に持っておけ。この像は今後何百年も此処に置かれる訳だから、それを彫った時の切り屑なんぞは却々手に入らんのだから」

みたいな事が書いてあった(私の思い込みも入っているかも)と思う。
普通お守りと云うのは、購入後一年経ったら神社仏閣へ返すものだ。
併し、こう云う、
「彫った時の切り屑」
等と云った中身の場合、「その時にしか手に入らない物」を折角封入した物なのに、一年で返してしまうべきか、それとも末代迄持っているべきかで大いに迷ってしまう。
それも長谷寺サイトに問い合わせページが無い為に、確認が出来ずに居る次第である。

 
 

検索ワード其の九
「栃木県今市市 人丸神社」 

全国に数多在る「人丸神社」。
これは柿本人麻呂を祀ったものだというが、これを検索すると栃木県では佐野市のものしかヒットしない。
今市市にある人丸神社に関して、誰か言及しないものだろうか。
何で斯様な僻地に柿本人麻呂を祀った社が在るのか、其の由緒が知りたいっす。

人丸神社は山口やら中国地方に多くあるらしいから、或いは薩長が侵攻して来た時に現地に広めたものか。