風水とは 


風水の基本

とか何とか言った處で、別に私もそんなに知りゃしないんだが、風水にも何だか色々有る様で。
先ずは形態派(巒頭派)と羅盤派(理気派)というのが有るらしい。

形態派

「五行」ってのがありますな。「木・火・土・金・水」の五元素を元に万象が成り立っているという考え方・・・と云う事でいいのかな。で、以下説明し易い様に、先ず五行の各要素に何が関係するのかを一覧にしてみよう。
 

五行 

方角

四神

色 

四季 

五臓 

八卦 

十干 

干支 

数字 

木 

東 

青龍 

緑 

春 

肝 

震 

甲乙 

卯 

三 

南 

朱雀 

赤 

夏 

心 

離 

丙丁 

午 

九 

土 

中央 

麒麟or黄龍 

黄 

 

脾 

 

己戊 

 

五 

金 

西 

白虎 

白 

秋 

肺 

兌 

庚辛 

酉 

七 

水 

北 

玄武 

黒 

冬 

腎 

坎 

壬癸 

子 

一 

注※此の場合の「金」は、ゴールドではなく、金属一般を指す。

ざっと挙げると、上の表の様に、各元素が様々な物に配当されている。
さ、そこで形態派の風水がどう考えるのかと云うと、風水を調べる対象の建造物や周囲の構造物が、どんな形をしているのかを先ず見る。

円筒形なら木の要素。(木の幹っぽいから)
尖っているなら火の要素。(炎の先っぽっぽいから)
平らなら土。(地面っぽいから)
円形なら金。(お金っぽいから)
不規則な形なら水。(水は形を持たないから)


更に五行相生、五行相克の関係を考え合わせる。

(五行相生・・・五行が互いに生じる)
木は火を生じ(木が燃えて火を発す)
火は土を生じ(燃えた灰が土っぽい)
土は金を生じ(鉱石を土から得る)
金は水を生じ(金属は溶けて液体となる)
水は木を生じ(水が無いと木が育たない)・・・・・

(五行相克・・・五行が互いに打ち消しあう)
木は土に克ち(土の養分を貰う)
土は水に克ち(水を汚す(とほほ))
水は火に克ち(火を消す)
火は金に克ち(金属を溶かす)
金は木に克ち(斧などで木を伐る)・・・・・・


これ等を考え併せて風水師が出す結論は、例えば円筒形の建物が多い「木の気」の場所に、平らな屋根を持った「土の気」の家を建てると、
「周りの「木」に養分を吸い取られてしまうからよろしくない。」
と云う判断となる。大雑把に言うとだが。

亦、表に有る通り、五行は四神にも配当されるので、「四神相応」も併せて考えられる。例えば西に白虎を象徴する丘が在った場合、東に青龍を象徴する西よりも大きな丘が無いと駄目等と云う見方もする。白虎は凶暴なので、それを押さえ込む龍の力が必要だからだとか。
理想的なのは、これ等二つの丘に加え、南に朱雀を象徴する湖などが在り、北には玄武を象徴する高い峰が在る様な状況らしい。

ところで余談だが、西は五行で「金」。だから「金運を象徴する方角だ」と云うのは、苦しい言い分乍ら、何と無く分からんでもない話だが、「西に黄色い物を置くと金運が上がる」と云う話は、一体どっから出て来たものだろうか?
黄色は上の表で分かる通り、中央に配当される色なのだが・・・・。
 


羅盤派

一方の羅盤派の風水は、方角を重んじる様だ。
方角に五行や八卦、十二支、十干、二十八宿なんぞを絡めて、更にその人の「生年数」とか「太陽月」等という物を割り出して考え併せ、何処の部屋が「六煞」で何処の部屋が「五鬼」だ・・・等と判断する。細か過ぎて私には能く解らん。
 


用地の検証

以上、大雑把に風水の特徴を述べたが、よく考えてみるとこれ等の理論は細部の根拠に疑問が残らないでもない。
例えば風水の理論で最高のロケーションとしてよく挙げられるものに、
 

「南に面した丘の中腹で、家の傍らに川が流れ、其の流れが家の前を通って地下に潜る場所」
 
というのがある。
丘の山頂が家の背後、つまり北にあって玄武を象徴し、家の前を通る川が朱雀を象徴しているだとかいった理屈なんだろう。
手元の風水書には、このロケーションが理想的である事は理屈で考えれば解ると書いてある。即ち、南に面しているから日当たりが良く、丘に遮られて北風が家を直撃しない。丘の中央に居を構える事で泥棒の接近も難しくなる。家の裏手から忍び込むには反対斜面を登って来なければならないからだ。家が麓に在る場合、洪水の危険に晒される可能性もある。丘の頂上での水の入手は難しいが、家の横に川がある事でその問題もクリアし、更に汚水も地下に流れるので文句無しだという。

丘の中腹に家が在る事の利点にばかり殊更に目を向けて、欠点を徹底的に無視しているだけの様に聴こえなくも無い話だ。
先ず家を建てるのに普通わざわざ斜面を選ぶだろうか。家を建てるのにこれ程不安定な場所もあるまい。田畑を作るにしろ牛や豚等の家畜を飼うにしろ不適当である事も云うを俟たない。
「生活必需品は麓の村で買うからいい」
と言っても、生活必需品を持っての上り下りは大変だろう。
斜面に住む事で一番危険なのは土砂崩れだ。日本でもよく「九死に一生スペシャル」等で再現フィルムが流されるが、斜面全体が崩壊して大量の土石流に家が押し流されるアレだ。
大雨が降って地盤が緩んだ後の地震などはビクビクものだろう。
其の上、「家の横〜前に川が在って、家の前で地面に吸い込まれる」様な場所は、地上に見えている川の他に、家の下の地下水脈の存在も疑われる。決して堅固な地盤とは言えまい。
惣じて丘や山の山頂から45度の角度以内に家など建てるべきではない。
 


理屈の検証

先ず「形態派」の考え方の基本である五行相生、相克の考え方を振り返ると、これがそもそもこじつけの様に聴こえる。
例えば五行相克、つまり五行が打ち消し合う状況を考えると、「土は水に克ち(土克水)」だが、逆に水が土を押し流すとも考えられるし、「火は金に克ち(火克金)」も、「火は木に克ち(火克木)」でも何らおかしくはないし、それに別段金に克つのは火ばかりとも言えまい。酸素と結合し易い金属なら水に触れると錆びるから「水克金」でも良かろう。「水は火に克ち(水克火)」だって火を消すには水ばかりでなく土をかけたっていい訳だ。
実際に別の説では、
「水克金―金克土―土克火―火克木―木克水」
というパターンも有るらしい。どうとも考えられる訳だ。

逆に五行相生、つまり五行が互いに生じ合う状況では、木は火を生じ(木生火)」木は腐って土になるのだから「木生土」でもいい訳だし、「金は水を生じ(金生水)水は木を生ず(水生木)」と云っても、液化した金属を木が吸う訳ではない。
鉄筋コンクリートの建物を風水的に検証したケースで、
「鉄筋コンクリートは金と土の要素を持っており、これ等は五行相生の関係(土生金)にあって創造を促すので幸運を齎す。随って此の組み合わせは富と経済的な成功を保証する」
と云う一文が有ったが、五行相生の関係にあれば何でもくっ付いてていいのかと云うと、どうもそうは思えない。
例えば(水生木)
だからといって、木造住宅の壁内に完全防水加工した上で水を溜めたとしたら、
「水と木は五行相生の関係にあるので、流動性と発展性を意味する。随って臨機応変に困難を克服し、発展する事が保証されます。」
とか何とか云う解釈をされるかも知れんが、其の前に壁の中の木が腐って家が倒壊するものと思われる。
「木の要素と水の要素を一緒にすると腐ってしまうから、其の時は木か水のいずれかの要素を、それを象徴する物で代用するのです」
等と云われたとしたら、それこそ「こじつけの上に、理論の欠陥の誤魔化し」である事を白状している様なものだ。
同様に(金生水・・・錆びる)(木生火・・・燃える)
も一緒にしたくない組み合わせだ。

だがそれはそれで目を瞑るとしても、だからといって、「水克金」と云う論理を其の儘、
「水の用地に金の建物を建てるとマズイ」
と現実に当て嵌めてしまうのもどうかと思える。
五行相生、相克の根拠自体が恠しいのに、
周囲の建物が水っぽいから、金っぽい家を建てると錆びるから駄目だよ」
と云うのは滅茶苦茶ではないか。現実の社会はそんなに単純なものではあるまい。
例えば水を象徴する不規則な形やガラス面の多い住宅が立ち並ぶ住宅街に、金を象徴する円形のショッピングモールが出来たら、其処が成功するかどうかは商品量と周邊の人口密度と住民の家族構成、地域性。それと競合他社の多寡が大きく左右してしまうだろうから。

挙句の果てに風水では、其の建物が五行のどの要素に属するかに依って、其処に住む人にどんな職種が合うのか迄口を挟まれる事に成る。
例えば
「土はレンガの材料になるから堅固なイメージだ。随って平らな形状の土の要素を持つ建物は堅固で長持ちするのでトンネル掘りの職業に向いている」
とか、
「水の要素はコミュニケーションを象徴するから、水の要素の建物に住む人は郵便、通信、広告、コンピュータ言語、電子工学等の職業が合う」
だとか、本当にそれを信じて就職するには勇気が要りそうな論理が展開される。
「コミュニケーションだからコンピュータ言語」
だと云うのなら、
「コミュニケーションだからトンネル」
と云う論理も成り立つ様な気もする。
「電子工学をコミュニケーションツールに使うから電子工学を学ぶ」
のと、
「トンネルをコミュニケーションツールに使うからトンネルを掘る」
のとでは、これも論法として同じ様な気もするが。
そもそも大概どんな職種もコミュニケーションを必要とするのではないかと思うのは私だけだろうか。

亦、風水というものが「自然の摂理を経験則的に見極め、利用する手段」だといった前提であるとするならば、上で書いた、
円筒形なら木の要素。(木の幹っぽいから)
尖っているなら火の要素。(炎の先っぽっぽいから)
平らなら土。(地面っぽいから)
不規則な形なら水。(水は形を持たないから)
を元に土地の要素を見極めてゆくのは何となく解らんでもない気もするが、
円形なら金。(お金っぽいから)
というのはオカシクないか?
そもそも「お金」等というものは人間の考え出したものである。では「お金」が流通する以前の原始時代だったら、円形の構造物なり地形は、其処に棲む人間の運命にどう関わったのだろうか。
「金の地形」の御利益は、それなりに裕福になるとか、権力を持つ様に働いたのだろうか?
お金など、まだ考え出されても居ない時代に?
「円いからお金」という連想は、「お金が円い」からそうなったのであって、将来的に「円いお金を使用する」という確証も何も、其の時点では無い筈だ。随って原始時代には「円形の要素」を、何か別の価値観で捉えるべきだと考えるのが自然だが、「自然の摂理」である風水理論は、お金が発明された後の価値観で考えるらしい。
風水が「自然の摂理」であるなら、原始時代であろうが、貨幣経済の発達しなかった世界であろうが通用する理論でなくてはならないのではないか。
方角への五行の配当でも、西が金であるならそれはそれでいい。併し其の場合の金は、metalかgoldであるべきで、moneyであってはおかしいのだ。

それから、先に
「西側に白虎を象徴する丘が在ったら、東に青龍を象徴する丘がなければならない」
と云う考え方も有る事を書いたが、風水理論では、
「青龍と白虎は切っても切れぬ関係であって、陰と陽の様に必ずペアになっているので、西に白虎があれば、必ず青龍がある筈だ」
と云う事になっている。
そうかぁ???一概にそう言えるかなぁ〜????

「羅盤派」の考え方は、家の方位に依って、各部屋が六煞(凶)だとか伏位(吉)だとか禍害(凶)だとか決めるのだが、それはまあ経験則を根拠にしているとしても、そこに「生年数」というのが絡まってくると恠しくなって来る。この「生年数」の出し方であるが、生まれ年を基準に考えるのだが、何故か古えの中国文化に相応しからぬ西暦 を基準に考えるのだ。その西暦の下二桁を9で割って、其処で出た数を10から引くとか何とか、人の運命を算出するこの公式を考え出した偉人は、一体何を根拠にしたものだろうか。
古来、数秘術というのか、往古の易学者が考え出した「数の曼荼羅」の様な物は有ったんだろうが、この西暦基準の「生年数」を考え出した人は尠くともそんな昔の人ではなさそうだ。
其の上、こうして方角に五行や八卦、十二支、十干、二十八宿、生年数を絡めて割り出した風水的診断に出て来る言葉が、
「スキャンダルやゴシップの暗示」
だとか
「スポーツやゲームでの成功」
だったりするのだが、五行や八卦の持つ情報の何処から「ゲーム」だとか「ゴシップ」等という情報が引き出せるのだろうか。

因みに理気派とも羅盤派とも関係無さそうなのがDr.コパの風水だ。
と学会の本にも紹介されてたが、
「ヨーロッパの化粧品は恋人が欲しい時に効く」
「人間関係アップには麺類を喰え」
「肉じゃが・サンドウィッチは家庭運を上げる」
「フランス料理は恋愛運を高める」
「ウナギは高いが、運を引っ張って来る」

等、一体何処から出て来た法則なのか分からないアドヴァイスが続くが、と学会曰く、これは既存の風水ではなく、本のタイトルにもある通り、「Dr.コパの風水」であって、本来の風水とは別物と考えた方が良いとの事である。


アイテムを用いる

風水上好ましくないと判断された箇所には、
「アイテムを置く事で、無理矢理帳尻を合わせちまおう」
と云う発想が生まれる。
例えば自分の位置が「木」の要素を持ち、自分に対面する何かが「金」の要素を持って居る等の場合は、(金克木)と成るのでこちらに都合が悪い。そこで、金と木の間に「水」の要素を持つ、例えば金魚鉢等を置く事で「金は水を生じ(金生水)水は木を生ず(水生木)」という相生の流れが作り出せ、且つ赤色である金魚は「火」の要素を持って居るので、こちらに害の有る金の要素に対して(火克金)
、つまり金の要素を打ち消す効力を持つので、其処で生じる悪影響を解消出来るという論理だ。
道具、アイテムで「無理矢理何とかする」方法を、次のページからケース毎に見ていこう。


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