武藝 |
武術の起こり |
武術の起こりについて、或る真面目な剣術の解説書の著者(古武道家。歴史家ではない。)はこう言っている。 (石器時代には) 「男は狩以外に大して働く用がなかったので、木の実等を発酵させた酒ばかり飲んで、ぶらぶらするのが常であったが、酔いに任せてはよく喧嘩をしていた。それが個人の戦いだけでは済まなくなり、」 戦いの規模が大きくなっていって、必然的に武術が生まれていったのだという。 武術の起こりが喧嘩から発展したものであろう事は何となく我々にも分かるが、それにしてもまるで近所のオッサンの思い出咄をしているかのように具体的な考証だ。 いや、只単にこれが言いたかった為に「武術の起こり」なんぞと題したのだが、このHPではそんな昔まで遡る意図はないので、武術の起こりなどは実はどうでもよかったのである。 |
何を学ぶべきか |
問題は武士がどんなものを嗜みとして学んでいたかである。
よく、「武藝十八般」などといわれる。 「十八般」が日本で有名になったのは、万治元年(1658)の「群書拾唾」、寛文元年(1661)の「五雑爼」が復刊されて以降という。(なんのこっちゃわかりまへん) 兎も角中国製十八般をざっと書いてみよう。
「三才図会」では槌、銃、鏈、棒の代わりに、
にしている。 貝原益軒は(恐らく)これを元にして、「武藝十四事」として、弓、馬、棒、刀、抜刀、撃剣、薙刀、鎌、鎗、石火矢、火矢、鉄砲、捕手、拳(やわら)を挙げており、就中、弓、剣、馬、銃を重視して、「武藝四門」とした。しかし、銃は概して足軽の武器であったので、江戸期の上級武士の間では余り訓練を喜ばなくなったらしい。 文化十二年、葛飾北斎の弟子の月光亭墨僊が、画集「写真学習」の中で、十八種目の武藝を挙げている。 平山行蔵が文政年間に書いた「武藝十八般略説」には、
とある。 私は素手の格闘技しか経験が無く、最近調べ始めたのでも剣術位しか分からない(という程知らないが)ので、おいおい採り上げていくのも剣術が主になろうかと思う。 |
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経緯 ところで、武術ではなく「武芸」と云う言い方をするのは何故だろう。 これに就いて、何年か前に読んだ本に何か書いてあったんだが、どの本だったか分かんなくなっちゃったので記憶に頼っていい加減に書くが、「武芸」とはそもそも剣術の事を主に揶揄して指した様な経緯が有ったのだと思う。(私が「思う」だけですよ) 戦国時代には甲冑を着込んで戦闘をするワケだが、甲冑を着込んでいるのだから、チョットやソット鋭利なだけの得物では、敵に損害を与える事は出来ない。つまり刀では効果的な攻撃とならない。その意味で効果的な武器は矢張り「槍」である。 コイツで刺し貫くのではなく、その大きな質量を鎧の上から相手に叩き付ける様に遣うのだ。 介者剣法と云って、甲冑を着けた状態を想定した、つまり鎧の隙間を狙う様に考案された剣法もあった。戦国期までに発達した剣術は、悉皆この要素を含んでいたと云う。 併しながら、相手の鎧の隙間を狙って斬り付けるとは云え、ぶっとい槍がブン回される中を、そうそう刀一本で戦い続けられようとは思えない。 横殴りに襲い掛かって来る槍の胴への対処が出来るのか。 そういつもいつも、狙い過たず相手の甲冑の隙間に当るかどうか。 槍がどっかへ行ってしまった等、已むを得ない場合に手許の刀を用いて戦う際に備える意味で覚えておくに如くはないが、ハナから刀一本で戦場に臨む為の闘法ではあるまい。 史実かどうか知らないが、戦国の風が残る江戸初期に、木刀だか原始的な竹刀だかを用いた試合を、どっかの殿様が家来に命じたそうである。 一方は剣術達者の若侍。もう一方は戦場を生き抜いた老獪な武士。 試合が始まると、若侍の打ち下ろした竹刀を老武士が手で受け止め、もう一方の手に持った竹刀で若侍を打ち据えた。 若侍が「そんな法はない」と抗議したが、老武士は「戦場ではいつもこうだった」と、袖を捲って自分の腕を若侍に見せたら、老武士の腕には無数の刀創が残っており、甲冑を着けた状態なら敵の刀を腕で受け止める様な事は日常茶飯だった事を示したと云う。 これが史実なら、甲冑の上から刀で斬り付けても、さして効果の無いであろう事が覗える。 戦国期が終わって江戸幕府が興ると、街中で槍やら弓やらを持って歩かれると物騒極まりない。 武士は二本差すだけに留められ(槍持ちを連れて歩く場合等は別)、武術修行も剣術の割合が必然増える。加えて剣術の方も、甲冑を着けた状態を想定せぬ「素肌剣法」が主流となった。 素肌剣法が主流となると、体の何処でも狙える小手先の業が増え、本来なら兵士たる武士が、そんなチマチマした訓練ばかりする様になる。 これは戦国を経験した武士から見れば面白くない。そんなのは「芸事」であって、素肌剣法などを極めんとするのは「芸者」だ。となる。 もとより甲冑を着けぬ状態で、戦国武士と剣術達者が真剣で立ち向かえば、素肌剣術を身に着けた者に戦国武士は愜うまいが、それでも甲冑を身に着けた状態を想定すべきだと云うのが、実戦志向に固執する戦国武士の言い分であったのだろう・・・と、これは私の推測であるが。 兎も角これが武術ではなく「武芸」と言われ始めた経緯だ・・・・・と慥か思った。 そして一旦「武芸」と云う表現が広まると、其の表現が今度は武術一般にまで拡大され、一般化し、槍だろうが弓だろうがひっくるめて「武芸」と言い習わされる様になった・・・のではなかろうか。 剣術の本分 さて此処からは余談だが、江戸も末期になって太平の世が何百年も続いた頃になると、有事を想定した武術訓練などはナンセンスだと思われる様になる。有事を想定する事自体がリアリティを欠いた行為となる。今の日本と同じ様な状況である。 刀を売って骨董を買う。武士の身ながら小唄が巧いのが粋だ。なんという事になる。 そうなると武術修行を志す者を、殊更「武芸者」等と侮蔑を篭めて言う様になる。 ところで、TVの古武術を扱った番組で薙刀の遣い手が出て来た時、遣い手のおばちゃんが、 「薙刀というのは型が即ち実戦なのだ」 と言っていた・・・とアナウンサーが言っていた。 解り難いので注釈を加えると、「型」とは、解り易く言えば、ジャッキー・チェン等が映画「酔拳」やら「蛇拳」で、独りでパンチやキックを繰り出して練習するアレである。 「型」は空手にも有る。空手に於いて相手と実戦的な殴ったり蹴ったりする事を組手と言うが、この組手を型通りに行う事を、約束どおり行う組手と云う意味で「約束組手」と云う。薙刀のおばちゃんが言っていたのは、同じ「型」でも、この「約束組手」に相当するものを言ったのである。 空手の事が話に上った事自体に意味は無い。ただ古武術の場合の「組手」に相当するものを何と称するかが不明だった為、「組手」を例に採った迄である。 日本少林寺拳法でも同じ様な事を言うらしい。即ち「型が実戦だ」である。 日本少林寺拳法では、空手の組手に相当するものを「乱取り」と云う。柔道も亦然りである。 但し、古武術に於ける「乱取り」の語は、空手の組手に相当する意味では用いられず、言ってみれば「乱暴狼藉」の意味に近い使われ方をする様だ。 「型」即ち、空手で云う「約束組手」に相当するものが「実戦の訓練である」と云う考え方をするのは、剣術も例外ではない・・・と言っていいと思う。と云うか、空手の「約束組手」の方が、剣術を始めとする古武術の練習法を取り入れたものか・・・と個人的には思うが。 戦国期から江戸初期迄をキッタハッタで生き抜いて来た剣術の達者達が、実戦で起こり得る斬り合いの展開を、考えられる限りデータ化したのが「型」である・・・という認識で良かろうか。 この約束組手を無数に反復練習する事によって、相手の繰り出す刃がどんな角度で襲い掛かって来ようとも、それぞれのケースへの対処法が身に付いている筈で、頭で考える前に体が反応して的確な対処法が採れるという寸法だ。 この約束組手の反復と試行錯誤こそが剣術修行の本分であると言って良かろうと思うが、これは居合であっても同じであろう。 居合と云うのは、同じ剣術ながら、不意の一撃に対処する意味合いから、鞘に収めた状態から抜き放って一撃で、或いは一太刀目は防御の為、返す二太刀目で勝負を決めようと云う武術である。 随って普通の剣術の様に、予め抜刀して構えた状態から組手を始めるのではなく、「勝負は鞘の内にあり」等と言うだけあって、納刀した状態から始められる(事が多い?)。 試し切りメイン? 剣術も居合も、試し切りという事をやる。 刀の性能を確認する為に行うそれではなく、業の確認の為のそれだ。 けれど、比較的それを人前で多く見せるのは、どちらかと言えば居合(抜刀術)に多かろうと思う。 併し剣術・居合の「物切り修行」と云うのは、手の内だとか足捌き、体捌きを覚える為の修行稽古が目的であって、そういう事は内々に、出来れば独りで行うもので、密かに修行すべきものであって、人に見せるものではない・・・ものらしい。 これが本当の武士で、牢人している等の已むを得ない事情が有って、糊口を凌ぐ為に大道芸人に身を窶し、「居合抜き」で大根やら竹やらを斬って見せているならまだしも、武士階級でもない者が純粋に見世物目的で牢人風の扮身で(武士以外も時代によろうが二尺以内の刀の所持は許されたとか)「居合抜き」をやるなどは、本当の意味での「芸」となる。 現代の剣術家も勿論武士ではないが、「武士」ではなく「剣術家」なのだから、剣術を研鑽すればそれでよい。約束組手をやって、密かに物斬り修行もすればよい。 密かにやるんであれば、妙な物を妙な斬り方で斬れる様に修練したとて誰も文句は言うまい。 佐々木小次郎が飛ぶ燕を斬ったのも、高速で動く物体をより正確に斬る為の修練だと思えば得心がゆく。 ところがソレばかりをメインに大衆の面前でデモンストレイションして金を貰う様なのは、「見世物」以外の何の目的有っての事かが判らなくなって来る。 道場の宣伝という側面も有るのかも知れないが、そういう「見世物」を見て入門欲をそそられた入門者の目指すものは、多くの場合、矢張り「見世物になる様な太刀遣いが出来る様になる事」・・・になってしまうのではないか。 「私もあんな風に竹を斬ってみたい」 という動機で始めたのであれば、行き着く所は「居合い抜きの大道芸」であろう。 ヌンチャクを振り回して蝋燭の火を消してみたり、バッティングセンターでボールを打ち返してみたり、そんな事をして「ヌンチャクの達人」等と言われている人があるが、そういうのと一緒だろう。 ヌンチャクは琉球の対人武器で、沖縄武術である空手にも採り入れられ、空手にはヌンチャクの約束組手もある。 そういう対人の練習をして、素手の相手、武器を持った相手への夫々の対処法を学ばなければ、武器の扱いの練習としての意味がない。(現代に実戦で通用するかは扨措き) 幾ら思う様にブン回せても、相手の攻撃に対処しながらの攻撃方法を知らないのでは、達人とは言えまい。謂わば「見世物の達人」だ。 剣術修行の目的が、ほぼこれになってしまっているのなら、それは対人用の戦闘術ではなく、もはや「曲芸」だ。 繰り返すが、対人練習を充分やった其の上で、実際に真剣を用いた時のインパクトの瞬間の刃の角度、直進性ほか、力学的に効率良く物が斬れるかを試す意味での「試し切り練習」は必要だろうと思うが、そればかりを宣伝のメインに用いるとなると、どうも、 「これだけ斬れる様になるから、どうです?ウチの道場に来ませんか?」 と言いたいとしか思えなくなる。 居合乃至剣術の本分は「組手」に相当するものだろう。 併し、それを見せても素人には解り難く、宣伝効果は低い。だからと言って、 「斬れる様になるから来ませんか?」 では、まさに「曲芸」の弟子募集になってしまうのではなかろうか。 |